ゴッホ「タンギー爺さん」の肖像 ・・・"Le père Tanguy"
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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)が、パリにいた1886年から、アルルへ旅立った1888年の約2年間で、「タンギー爺さん」と「浮世絵」との出会いによって、ゴッホはマチエール(matière)を大きく進化させ・・・
そしてその出会いの合体のような絵は、ゴッホがパリにいた間に描かれた「タンギー爺さん」の肖像として3枚あり、それはあたかも蝶がさなぎから飛び立つように変化している。
ごく普通に描かれた変化前の初期の1枚は、デンマーク・コペンハーゲンのニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館が所蔵し、変化後の1枚はパリのロダン美術館が所有、そしてもう1枚はギリシャの海運王スタブロス・ニアルコスが所有している・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/タンギー爺さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧
“Le père Tanguy”
デンマーク・コペンハーゲン ニイ・カールスベルグ・グリプトテク 美術館蔵/1 janvier 1887年 | Musée Rodin, Paris, France パリ7区・ロダン美術館蔵 | ギリシャ海運王 スタブロス・ニアルコス個人蔵 |
ゴッホが、弟テオドルス(通称テオ)のアパートに転がり込んだのは1886年2月末(明治19年)で、ゴッホ33歳の頃だった。
2人が住んでいた場所は、パリのモンマルトル、ルピック通り54番地(54 Rue Lepic 75018 Paris)で、今もそのアパートはモンマルトルの丘を登る、大きく右に曲がるルピック通りの右側に建っている・・・
当時、印象派からポスト印象派の時代にさしかかる頃で、少し丘を登った所にロートレックやユトリロと母のシザンドヴァラドンが坂の上になどに住み、ルノアールのブルイヤール館やピサロがアブルヴォワール通り12番地の丘の上あたりと、売れない画家たちが居を構えていた・・・
そして、モンマルトルのルピック通りを下り、クリシー大通り(Boulevard de Clichy)には有名なムーランルージュが今も通りに面して建ち、その下のクローゼル通り14番(14 rue Clauzel à Paris)には、画材店を営むタンギー爺さんの店があり、その店には、ゴッホ以外にもベルナール、モネ、セザンヌ、ゴーギャン、ロートレック、バジル、ピサロ、ルノアール、シスレーといった当時モンマルトルの丘にたむろしていた印象派の売れない画家たちが絵の具や画材の購入に足繁く通っていた・・・
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ルピック通り(Rue Lepic)→
ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge/Boulevard de Clichy)↓
今のパリのメトロ(Métro de Paris)が1号線から14号線までパリ市内に張り巡らされたのは、最初の1号線が1900年パリ万博にあわせて開通し、以後およそ30年余りで網の目のように発展している。従って当時ゴッホはこの間を歩いてたのだろうと思われる。ちなみに現在のメトロの駅は、ブランシュ駅(Blanche)から1駅のサン・ジョルジュ駅(Saint-Georges)で1.2Km程の徒歩で約14〜15分・・・
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ゴッホの家(54 Rue Lepic, 75018 Paris)→
タンギー爺さん(14 Rue Clauzel, 75009 Paris)
そして現在「タンギー爺さん」の店は、パリ市の史跡に指定されて、日本人の青柳顕博(Aoyagi Akihiro)さんがお店をやられているらしく、浮世絵の歌川正国などの絵画が買える国際チェーン店になっている・・・
”PERE TANGUY ARTMEDIA PARIS”→
「ピエール・タンギー アートメディア・パリ」
http://www.artmedia-1.biz/shop.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bontaka1/18609499.html
http://www.gavroche-pere-et-fils.fr/la-galerie-du-pere-tanguy-et-ses-estampes-japonaises/
そのモデルとなった、ゴッホと親子ほど年がはなれたジュリアン・フランソワ・タンギー(Julienne François Tanguy、1825年-1894年)爺さんは、ブルターニュ地方のサン・ブリユーに生まれ、1860年にパリに出てきて左官、次に絵の具職人として働き、1870年にナポレオン3世のプロシアとの普仏戦争に敗北後、モンマルトルを拠点に1871年に結成された、言論の自由、信仰の自由、労働組合、政教分離等の革命的な政策をかかげた「パリ・コミューン」にタンギー爺さんは参加する。
このフランスの内戦はパリ市民に3万人の犠牲者と、5万人もの逮捕者を出し、フランスのベルサイユ政府軍によって約2ヶ月で終結する・・・
タンギー爺さんは捕らえられ、ブルターニュ地方のブレストの刑務所に4年間も囚われ、釈放後の1875年にパリのクローゼル通りに当時の絵具屋を開店し、画家の依頼による自家製のチューブ入り絵具を販売する。
時代も・・・
普仏戦争後のパリは、第二次産業革命が進み近代産業国家へと発展し、街にはガス灯やカフェ、ボン・マルシェ百貨店などに象徴される都市の消費文化が栄え、1889年のパリ万国博覧会に時代の象徴とも云えるエッフェル塔が建設され、パリは世界中のあらゆる文化、特に日本の浮世絵などを吸収し、西欧一の国際都市へと変貌しはじめ、俗に言う高度成長期に突入し、1900年のパリ万博へとパリが繁栄した華やかな時代、ベル・エポック(Belle Époque)と呼ばれる「良き時代」を迎えようとしていた・・・
モネは当時を「彼の店は本当に小さくて、ショウ・ウインドーも小さいので、そこには絵は一枚しか展示できず、そこに我々の作品を一枚ずつ代わりばんこに展示することに決めた。月曜日はシスレイ、火曜はルノアール、水曜ピサロ、私は木曜日、金曜日はバジル・・・」と、回想している・・・
1886年秋「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」↑
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当時、絵具は画家独自の色を出すため自らが顔料を混ぜて絵具を作りアトリエで描いていた時代から、印象派の野外の写生用に、江戸時代の矢立の様にステッキに組み込んだり、今風の鉛のチューブに詰めて持ち運ぶ事が出来るようになり、より画家の個性が鮮明に表現され、持ち運び自由で何時でも何処でも使用できるようになり・・・
1886年秋「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」↑
1887年3月「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」→
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現在の様に画材屋さんで売られている、ホルベインやターナーの油絵の具36色セットなどの詰め合わせではなく、ゴッホの○○色セットして画家独自の色をチユーブで使う時代になっていた・・・
そしてその頃には、ゴッホも流行りの「印象派」の光を捉え始め、モンマルトルの丘にある「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のゴッホの絵を眺めると、徐々に色彩が明るくなり、絵具も分厚くタッチも荒々しく変化している・・・
そして、有名なゴッホのまばゆいほどの黄色は、黄鉛(Chrome Yellow)に白を混ぜて描かれ、黄色が独特の色合いを出すのは、黄鉛がクロム酸鉛を主成分とする為、黒く変色する事がベルギーのアントワープ大学の研究チームが、超高感度のX線顕微鏡でゴッホの絵画を分析したところ、絵の具とニスが混ざり合った部分が日光にさらされると化学変化が引き起こされることが分かった。そしてその絵の具は、タンギー爺さんが鉛のチユーブに入れ、弟のテオを介してアルルのゴッホに送っていたと思われる・・・
それが一つめの出会いであり・・・
おそらく絵の具を売る以上に、時代の価値観や生きて行く人生観を爺さんはゴッホに、我が子をさとすように、話しかけていたに違いない・・・
そして、二つめの出会いは・・・
彼の死後、オランダのアムステルダムのゴッホ美術館に残るゴッホとテオが収集した浮世絵約500点などに見られる様に、モンマルトルの傍で浮世絵に心酔し、浮世絵から「美」をもぎ取った足跡のように有名な模写が現在3点残っている・・・
Ukiyo-e“Japonaiserie”
(渓斎英泉/雲龍打掛の花魁) 1887年9月-10月 油彩|キャンバス|105×61cm ゴッホ美術館|Musée Van Gogh | (広重/亀戸梅屋舗) 1887年9月-10月 油彩|キャンバス|55.0 x 46.0 cm ゴッホ美術館|Musée Van Gogh | (広重/大はしあたけの夕立) 1887年9月-10月 油彩|キャンバス|73.0 x 54.0 cm ゴッホ美術館|Musée Van Gogh |
そしてゴッホは、その浮世絵の模写を前後にして、1887年の夏から冬にかけて、二つの出会いの合体のような絵「タンギー爺さん」の肖像画を2枚描き上げる・・・
おそらくこの絵はゴッホが自らの「美」のオリジナリティーを探し求めた、彼自身の悩みに悩み抜いた原型であり、彼の美の方程式?・・・或いは、彼自身の理想形の美のバイブルかのように・・・
で、人物の背景にある浮世絵を見ると・・・
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ゴッホは二つの出会いの合体のようなこの絵を描き上げた後の1888年2月20日、
春まだ浅いパリを離れ、
新たな光溢れるモチーフを求めて南フランスのアルルへと旅立った・・・
それは、自信に満ちたゴッホオリジナル画の旅立ちあり、
ゴッホが2年弱のパリで得た「印象派」や「浮世絵」或いは「タンギー爺さん」に助けられながら、
自らを一歩前進させた自分自身の旅立ちでもあった・・・
そして、約1ヶ月後の1888年3月、
アルルの光のなかでゴッホは「ゴッホの絵」に到達する・・・
(アルルのラングロワ橋と洗濯する女性たち) "Le Pont de l'Anglois" The Langlois Bridge at Arles with Women Washing 1888年3月|油彩|キャンバス|54.0 x 65.0 cm クレラー・ミュラー美術館: Kröller Müller Museum フィンセント・ファン・ゴッホ:Vincent Willem van Gogh (1853年〜1890年) https://ja.wikipedia.org/wiki/アルルの跳ね橋 |
おそらく・・・
「タンギー爺さん」と「浮世絵」との出会がなかったら、ゴッホの今は無かったに違いない・・・
そして、ゴッホは耳切事件後、ピストルによる自殺か事故死かはっきりしないまま、
1890年、まったく売れないまま、油絵約860点、水彩画約150点、素描約1030点を残し、
37年の短い生涯を閉じた・・・
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フィンセント・ファン・ゴッホ:Vincent Willem van Gogh
(1853年〜1890年)
タンギー爺さんは・・・
ゴッホがパリの北のオーヴェール・シュル・ウワーズでこの非業の死を遂げた時、
パリから埋葬に駆けつけ・・・
ゴッホの死から4年後の1894年2月6日に、パリで69年の生涯を終えている・・・
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ジュリアン・フランソワ・タンギー:Julienne François Tanguy
(1825年〜1894年)
ゴッホ「タンギー爺さん」の肖像
1887年夏頃作|92×75cm|パリ7区・ロダン美術館蔵:Musée Rodin, Paris, France
(以下・参考サイト)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 - 1890年7月29日)は、オランダ出身でポスト印象派(後期印象派)の画家。姓は、Goghではなく、 Van Goghである。「Gogh出身の」という意味になる。主要作品の多くは1886年以降の ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧
オランダのアムステルダムにある、ゴッホ美術館の内訳は、ゴッホの油絵約200点、素描約500点、書簡約700点、それにゴッホとテオが収集した浮世絵約500点などである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ゴッホ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホに関するコレクションで知られ、その絵画87点におよぶ規模はアムステルダムのゴッホ美術館とならび、2大ゴッホ美術館と称される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/クレラー・ミュラー美術館
あの人の人生を知ろう~ゴッホ兄弟
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/gogh.html
ゴッホの代表作一覧|時代別・活動拠点別 ゴッホ作品リスト
http://www.art-library.com/gogh/list-works.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/タンギー爺さん
Le père Tanguy1887-1888
http://fr.wikipedia.org/wiki/Le_père_Tanguy
スタブロス・スピロス・ニアルコス (Σταύρος Νιάρχος、ラテン文字転記:Stavros Spyros Niarchos)(1909年7月3日-1996年4月16日)は、ギリシャの企業家。海運会社を保有し、世界的な富豪であった。競走馬の馬主としても知られた。晩年はスイスのサンモリッツで暮らした・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/スタブロス・ニアルコス
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh_tanguy.html
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/Gogh.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャポニスム
タンギー爺さんの肖像 - BS-TBS
ゴッホが、通っていたジュリアン・タンギーの画材屋はパリ・モンマルトルにあった。ゴッホにとって、タンギーはもっとも心を許せる大切な友人であった。そんな彼をモデルに1887 年、ゴッホの代表作でもあるこの絵を完成させる。心の暗闇を抜けゴッホがパリという ...
http://www.bs-tbs.co.jp/meiga/p01_2.html
http://blogs.yahoo.co.jp/les_fleurs3106/50445289.html
画中画のある絵9・ジャポニズム 「ゴッホ(タンギー爺さん)」
http://hkr2525.blog51.fc2.com/blog-entry-231.html
変身抄|ご存知ゴッホの「タンギー爺さん」
http://yaplog.jp/alei/archive/55
弐代目・青い日記帳 ゴッホが愛した・・・
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=428
La Galerie du Père Tanguy et ses estampes japonaises
http://www.gavroche-pere-et-fils.fr/la-galerie-du-pere-tanguy-et-ses-estampes-japonaises/
http://gouvrant-le-peintre.blogspirit.com/archive/2013/08/30/le-pere-tanguy-et-sa-galerie-2976015.html
株式会社アートメディア
http://www.artmedia-1.biz/shop.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bontaka1/18609499.html
http://www.artmedia-1.biz/images/shop/Who's-Who20130925.jpg
ゴッホ「タンギー爺さん」|美の巨人たち
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/160109/index.html
「タンギー爺さん」 1887年 ゴッホ ロダン美術館
https://www.facebook.com/permalink.php?id=262852667178497&story_fbid=586018764861884
ロダンがコレクションしていたゴッホの絵は3枚
http://blogs.yahoo.co.jp/pikugasse/23491845.html
フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh
1853-1890 | オランダ | 後期印象派
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh.html
http://fr.wikipedia.org/wiki/Le_père_Tanguy
https://ja.wikipedia.org/wiki/普仏戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャポニスム
https://ja.wikipedia.org/wiki/渓斎英泉
フィンセント・ファン・ゴッホの模写作品(もしゃさくひん)は、30点以上残されており、 そのうち約21点がジャン=フランソワ・ミレーの模写で ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホの模写作品
日本趣味 : 花魁 (Japonaiserie : figure) 1887年 105×61cm | 油彩・画布 | ファン・ゴッホ美術館
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh_figure.html
【名画鑑賞】 Cool Japan!! 世界が認めた浮世絵 - ゴッホと日本 ...
2013/04/08 - 多くの日本版画を買い集め、1887年3月にはレストラン・タンブランの店の壁を利用して日本版画展を開いた。1887年に描いた「タンギー爺さん」の肖像画の背景にはいくつかの浮世絵が貼られている。また、「パリ・イリュストレ」誌1886年5月号 ...
http://matome.naver.jp/odai/2136535483369552501
「パリ・イリュストレ」(Paris Illustre)誌
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/1628/1/20090330-3-31.pdf
黄鉛 Chrome Yellow
https://ja.wikipedia.org/wiki/黄色
ゴッホの「黄色」が茶色くなる理由
http://ameblo.jp/mlle-pen/entry-11452836337.html
Yellow of Van Gogh ゴッホの黄色
https://torinosaezuri.wordpress.com/2012/09/18/yellow-of-van-gogh-ゴッホの黄/
美の巨人たち|フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」
http://www.geocities.jp/mooncalfss/himawari/himawari.htm
燃え上がる黄色は希望の光|ゴッホ「ひまわり」
http://www.bs-asahi.co.jp/binomeikyu/back_036.html
ムーラン・ルージュ公式日本語サイト | パリ ムーラン・ルージュのご案内
http://www.moulin-rouge-japon.com
Words - 絵画用語集 -
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