Walk神戸-20 [一ノ谷の早春]
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時は、寿永3年/治承8年(1184年)旧暦2月7日、春まだ浅い明石海峡の、海と山がせめぎ合う海岸しか無い狭い場所で時の力が交錯する・・・
先駆けせんと義経の部隊から抜け出した熊谷直実・直家父子と平山季重らの5騎が塩屋口に現れて名乗りを上げて、歴史に残る有名な源平合戦の「一ノ谷の戦い」の火蓋は切って落とされる・・・
一ノ谷|神戸市須磨区|Googleマップ
(2016年2月19日撮影)
「一ノ谷の戦い」 源平合戦・治承・寿永の乱
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およそ1000年ほどの時が過ぎて、現在は桜の名所として松並木が続く美しい須磨浦公園となり、山と海の間には山側から山陽電車、国道2号線、JR山陽本線と海岸沿いをひしめくように走っている・・・
↑ 熊谷直実「一の谷合戦図屏風」/永青文庫蔵(江戸時代?)
平敦盛を呼び止める熊谷直実
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その山陽電車須磨浦公園駅を降りたすぐ横から、須磨浦ロープウェイで海抜246mの鉢伏山まで所要時間約3分ほどで頂上まで登れる・・・
↑ 平 敦盛「一の谷合戦図屏風」/永青文庫蔵(江戸時代?)
平敦盛を呼び止める熊谷直実
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「一ノ谷の戦い」は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い。治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いの一つ...
2月7日払暁、先駆けせんと欲して義経の部隊から抜け出した熊谷直実・直家父子と平山季重らの5騎が忠度の守る塩屋口の西城戸に現れて名乗りを上げて合戦は始まり、生田口、塩屋口、夢野口で激戦が繰り広げられるが、平氏は激しく抵抗して、源氏軍は容易には突破できなかった・・・
一ノ谷の裏手の断崖絶壁の上に立った義経は戦機と見て、精兵70騎を率いて坂を駆け下る決断をする。義経は「心して下れば馬を損なうことはない。皆の者、駆け下りよ」と言うや先陣となって駆け下った。坂東武者たちもこれに続いて駆け下る...
https://ja.wikipedia.org/wiki/一ノ谷の戦い
平 敦盛は、平安時代末期の武将。平清盛の弟である平経盛の末子。位階は従五位下。官職にはついておらず、無官大夫と称された...
笛の名手であり、祖父平忠盛が鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』)という笛を譲り受ける。
平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する・・・
直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った・・・
この『平家物語』の名場面は、のちに能『敦盛』、幸若舞『敦盛』、文楽/歌舞伎『一谷嫩軍記』などの題材となった。織田信長の好んだ歌『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか』は幸若舞の『敦盛』の一節である・・・
(トンネルをくぐった辺りが一ノ谷のようです!?)↑
https://ja.wikipedia.org/wiki/平敦盛
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「須磨浦ロープウェイ」
兵庫県神戸市須磨区の鉢伏山にかかるロープウェイである。運営は山陽電気鉄道の子会社である須磨浦遊園株式会社が行っている。
現在のゴンドラは、2007年に川崎重工で新造された3代目のもので、2代目と同様に1号車は「やまひこ」2号車は「うみひこ」の愛称がある。「やまひこ」は赤を基調に白帯を配しており「うみひこ」は白を基調に赤帯を配している。鉢伏山上駅でカーレーターと接続している・・・
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駅数- 2駅(起終点駅含む)
線路全長 - 464m
定員 - 30人
運転速度 - 2.5m/s
所要時間 - 3分15秒
三線交走式
普通運賃
大人:片道450円、往復900円
小人:片道260円、往復460円
https://ja.wikipedia.org/wiki/須磨浦ロープウェイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/カーレーター
「須磨浦山上遊園」の梅林
兵庫県神戸市須磨区の鉢伏山と旗振山の山頂一帯に広がる須磨浦公園内の植物園・遊園地を含む緑ゆたかな公園である。1959年に開園した。
山陽電鉄 須磨浦公園駅に直結する須磨浦ロープウェイとカーレーター(勾配25度のゴンドラ)を乗り継ぐと山頂エリアに着く。山頂エリアには須磨海岸~紀淡海峡から六甲山地まで360度のパノラマを楽しめる回転展望閣や林間の散策路があり、さらに観光リフトで谷を渡ったところにはふんすいランド、サイクルモノレール等が設置された遊園地がある・・・
須磨浦山上遊園の梅林は、早咲きの寒紅梅から白加賀、淋州、しだれ梅、遅咲きの麻耶紅梅まで、西部展望台付近の梅林に咲き誇り、2月初旬から3月中旬まで、西部展望台西側斜面一帯に、紅梅約450本、白梅約350本が植えられており、梅林越しに明石海峡大橋や淡路島が望め、梅まつりが催されている・・・
http://www.sumaura-yuen.jp
(以下・参考サイト)
須磨浦山上遊園|観梅紀行
http://www.sanyo-railway.co.jp/ume/sanjou.html
須磨浦山上遊園
http://www.sumaura-yuen.jp
http://www.sanyo-railway.co.jp/ume/sanjou.html
須磨浦山上遊園|園内マップ
http://www.sumaura-yuen.jp/parkmap/
https://ja.wikipedia.org/wiki/須磨浦山上遊園
http://www.kobe-park.or.jp/sumaura
須磨浦ロープウェイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/須磨浦ロープウェイ
http://www.sumaura-yuen.jp/facilities/entry-54.html
http://www.feel-kobe.jp/sightseeing/spot/?sid=157
一般的には「源平合戦(げんぺいかっせん、げんぺいがっせん)」あるいは「源平の戦い(げんぺいのたたかい)」などの呼称が用いられることがあるが、
治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱である。古代最後の内乱であり中世最初の内乱である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/治承・寿永の乱
一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い。治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いの一つ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/一ノ谷の戦い
鵯越駅(ひよどりごええき)は、兵庫県神戸市兵庫区里山町にある、神戸電鉄有馬線の駅[1]。標高134m。
https://ja.wikipedia.org/wiki/鵯越駅
「一の谷合戦図屏風」
舟へ戻ろうとする平敦盛を呼び止める熊谷直実
(永青文庫蔵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/一ノ谷の戦い#/media/File:Taira_no_Atsumori%26Kumagai_Naozane.jpg
「一の谷合戦図屏風」
土佐派|江戸時代
(東京富士美術館蔵)
紙本金地着色
屏風装(六曲一隻)
157.5×352.0cm
http://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=3559
源平合戦図屏風 一の谷・屋島合戦図|江戸時代 17世紀 狩野吉信筆
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/meihin_new/115.html
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