モネの "Impression" 「印象派の原点」・・・
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この印象派 (L’impressionnisme) 誕生の原点と言われるシンボルのような作品は、時に売却され、忘れられ、盗難に遭い、流浪の旅を続け今日に至っている・・・
京都市美術館|モネ展 「印象、日の出」から「睡蓮」まで|Googleマップ
(2016年3月11日鑑賞・撮影)
「印象・日の出」 "Impression, soleil levant" (画面をクリックすると900 x 698 pixに拡大します) 1872年|油彩・キャンバス|寸法48 cm × 63 cm マルモッタン美術館蔵:Musée Marmottan Monet, Paris , France クロード・モネ:Claude Monet (1840年~1926年) |
この絵が美術史上に燦然と登場するのは・・・
1874年(明治7年)、キャプシーヌ大通りに面した写真家ナダールのスタジオで、パリのサロン(官展)落選組のモネ、ドガ、ルノワールなどの画家たちの第1回印象派展(Première exposition de l'Impressionnisme)が開かれ、シャリヴァリ誌の批評家ルイ・ルロワが作品群を酷評し、モネの「印象・日の出(Impression, soleil levant)」の作品名から「印象派: L’ impressionnisme」と呼ばれ美術史上に燦然と輝く「印象派」は産声をあげる・・・
その後、印象派展は1874年から1886年まで8回催され、ピサロ、シスレー、ドガ、モネ、セザンヌ、ゴーギャン、カイユボット、モリゾなどが加わり、ジャポニスムブームの「浮世絵」から、庶民たちの自由かっ達な生活感や、特に大衆感覚で美を愛する江戸庶民の生き方に、或いはデフォルメされた風景画や人物画に触発されながら、主にモネは121枚、ルノワールは71枚出展し、我々が今日見る「印象派」たちの名画が生まれていく・・・
絵は・・・
当時のパリの買い物の様相を一変しつつあった新興の大百貨店の持ち主で、莫大な財産家で自らが所有するモンジュロンのロッタンブール城の室内装飾画をモネに依頼し、パトロンになっていたエルネスト・オシュデ(Ernest Hoschedé/1837〜1891)に800フランで買い上げられる・・・
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← Édouard Manet作「オシュデと娘」
"Ernest Hoschedé with his daughter Marthe"1876
しかし、オシュデの会社は破産し、自殺に失敗した後、債権者から逃れるため、5人の子どもと身ごもった妻を残してフランスから国外のベルギーへ逃亡する。モネはオシュデの妻アリス・オシュデと6人の子どもを引き取って共に暮らし、その年、妻カミーユに2人目の子であるミシェルが生まれ、モネは合計10人と一つ屋根の下で暮らし始めた翌年の1879年、愛妻カミーユは癌で他界する。後年モネはオシュデ死後、その妻アリス・オシュデと再婚し、ジヴェルニーで有名な睡蓮の連作などの名画を描き続ける・・・
そしてその当時、絵は競売に掛けられ・・・
オシュデからこの作品を210フランで購入した、印象派の庇護者であったルーマニアの医者、ジョルジュ・ド・ベリオ(George de Bellio/1828-1894)の手元に移る・・・
ド・ベリオ医師はモネをはじめとする印象派の画家を診ていた医師で、初期の印象派を評価した数少ない収集家の一人っであり、死後、コレクションは娘ヴィクトリーヌ(Victorine)に受け継がれ、その後第二次世界大戦の戦火を避けるため1939年にシャンボール城へと送られ、翌年の1940年にマルモッタン美術館に寄贈される・・・
美の時代も、第一次世界戦争(1914年〜1918年)後、ポスト印象派やフォーヴィスム(Fauvisme)やエコール・ド・パリ(École de Paris)にキュビスム(Cubisme)へ、そしてこの歴史的な絵は、時代の趨勢の中で遠い過去に置き忘れられ、第二次世界戦争後の1950年代に入って印象派誕生のルーツを物語る作品として再び脚光を浴びる・・・
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←ジョルジュ・ド・ベリオ(George de Bellio/1828-1894)
そして、1926年に86歳で他界したモネの死後、モネのプライベート・コレクションは息子のミシェルが相続し、その後、ミシェルの遺志でマルモッタン美術館に遺贈された。その数およそ150点に及び「マルモッタン・モネ美術館:Musée Marmottan Monet」と名称を変える・・・
しかし、1985年10月27日には美術館の開館中に、このモネの「印象・日の出」や、ルノワールの「岩に座る浴女」、モリゾの「舞踏会で」などが白昼堂々と盗難される・・・
そして、事件から1年後の1986年11月25日、当時の三菱銀行の有楽町支店前で3億3千万円が4人組の男達に強奪されるという事件が発生する。
この「有楽町3億円事件」の容疑者にフランス最大のギャング組織の男が浮上し、マルモッタン美術館から盗んだ絵を、当時のバブル時代の日本に売り込みに来ていたらしいが、一味はメキシコまで逃亡し、事件から5年後に盗まれたすべての絵画はギャングのアジトのあったコルシカ島から無事発見される・・・
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名画は誰のため、何故に其処で、
過ぎし時代の中で次の時代へと、我々に何を語り継ぐのだろうか?・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/マルモッタン美術館
http://www.marmottan.fr
(以下・参考サイト)
マルモッタン・モネ美術館所蔵
モネ展「印象、日の出」から「睡蓮」まで
特別出典作品 「モネ展 京都展」は、会期中に一度展示替えを行います。
ジョルジュ・ド・ベリオコレクションの傑作《印象、日の出》と《テュイルリー公園》は期間限定での展示となります。
展示期間をお確かめの上、ご来館いただきますよう、ご案内申し上げます。
展示期間(前期) 印象、日の出
2016年3月1日(火)~3月21日(月・休)
展示期間(後期) テュイルリー公園
2016年3月22日(火)~5月8日(日)
京都市美術館(京都市左京区岡崎公園内)
2016年3月1日(火)~5月8日(日) 61日間
9:00~17:00(入館は閉館の30分前まで)
『印象・日の出』 Impression, soleil levant
https://ja.wikipedia.org/wiki/印象・日の出
https://ja.wikipedia.org/wiki/印象派
クロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)は、印象派を代表するフランスの画家 ....
https://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・モネ
モネ展|読売テレビ
http://www.ytv.co.jp/monet/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/マルモッタン美術館
https://fr.wikipedia.org/wiki/Musée_Marmottan_Monet
《印象―日の出》がマルモッタン美術館へやってきたのはいつ?
メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド:Maison des Musées de Monde
http://www.mmm-ginza.org/special/201412/special01-03.html
http://www.ffortune.net/social/people/seiyo-mod/monet.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/印象派
http://www.gallery-aoki.com/impressiontop.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/ナダール
https://galeriey2.wordpress.com/2015/01/28/パリの建物-14%E3%80%80第一回印象派展/
PhotographsーMonetー
Monet in bed after his cataract operation in 1923.
Monet in his third studio in front of Morning, c. 1924-1925.
Inauguration of Monet's Grandes Decorations in the Orangerie, 1927.
http://www.monetpainting.net/photographs.php
https://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_Hoschedé
2,499 items in Claude Monetーart.com
http://www.art.com/gallery/id--a43/aff--conf/ctid--996831348/rfid--945463/tkid--15037597/claude-monet-posters.htm
http://www.monetpainting.net/
Ernest Hoschedé (18 December 1837 – 19 March 1891) was a department store magnate in Paris....
https://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_Hoschedé
雑話77「モネの大家族」
http://ameblo.jp/guy503/entry-10900485947.html
http://monetlog.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
ジョルジュ=ド=ベリオ|Georges de Bellio(1828-1894)
ジョルジュ=ド=ベリオ< ルーマニア人の医者で熱心な印象派コレクター。「印象・日の出」を所有していた。定期的にカフェ=リシュの晩餐会に参加し、カイユボットとは手紙のやり取りをしていた。
http://caillebotte.net/character/
http://sueyounghistories.com/archives/2008/11/01/georges-de-bellio-1828-1894/
Histoire du Musée
http://www.marmottan.fr/fr/historique_du_musée-musee-2507
Georges de Bellio | True Romania
George Bellu (February 20, 1828 - January 26, 1894) was a Romanian aristocrat, art collector and protector of the Impressionists.
http://surprising-romania.blogspot.jp/2010/05/georges-de-bellio.html
ド・ベリオ・コレクション
http://www.ytv.co.jp/monet/highlight/index.html
マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展 「印象、日の出」から「睡蓮」まで
https://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/kmma/exhibition/2015fiscal_marmottan.html
有楽町3億円事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/有楽町三億円事件
有楽町三億円事件|マルモッタン美術館
1985年、モネの名画「日の出」が開館中に盗まれ、騒動になりました。以来、被害にあったマルモッタン美術館はもちろんのこと・・・
https://www.printemps-ginza.co.jp/style/paris/report75.html
<狙われた名画:モネの「印象・日の出」・了>
http://ameblo.jp/seuratsan/entry-12007947914.html
三菱銀行・有楽町支店3億円強奪事件
-経緯-
昭和61年11月25日午前8時20分頃、東京都千代田区の有楽町二丁目の交通会館一階にある三菱銀行・有楽町支店前に日通の現金輸送車が到着し運転手が後部ドアを開けたところ、待ち伏せしていた3人組みの2人が運転手に殴りかかりスプレーをかけた。
フランスの強盗団のボスでフィリップ・ミエール・ジャマンらフランス人3人とアルジェリア人1人であることが判明した。事件から1年後の昭和62年10月だった。
http://jikenshi.web.fc2.com/newpage206.htm
【3億円強奪事件の背景】
http://fleur-de-coeur.com/seine003.html
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