たどり着いたモンドリアンの「赤・青・黄」
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その長い道のりは・・・
1917年、造形グループ「デ・スティル」を結成し、1920年に「新造形主義」を刊行。
そしてついに、水平・垂直の直線と三原色から成る「コンポジション」で「美の世界」に登場する。
時は1921年(大正10年)、第一次世界大戦終結後のパリ・・・
"The Red Tree"(De rode boom) 油彩|キャンバス|1908〜1910年|70 × 99 cm デン・ハーグ市美術館蔵 オランダ:Gemeentemuseum Den Haag ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian・・・
(1872〜 1944年)
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本名ピエト・コルネリス・モンドリアーン:Pieter Cornelis Mondriaanは、1872年にオランダのアメルスフォールトに、アマチュア画家で小学校の校長の父ピーテル・コルネリス・モンドリアーンと母ヨハンナ・クリスティナの2番目の子供として生まれる・・・
アーメルスフォールト|オランダ|Googleマップ
叔父のフリッツ・モンドリアーンはプロの画家であり、幼い頃から父や叔父から絵の手解きを受け、1892年から3年間、アムステルダム国立美術アカデミーにおいて伝統的な美術教育を学び、当時の印象派やポスト印象派、特にゴッホやスーラの影響を受ける・・・
美の時代は・・・
1907年、パリのモンマルトルの安アパート兼アトリエのバトー・ラヴォワール(Le Bateau-Lavoir:洗濯船)でパブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」が生まれ・・・
伝統的な西洋画のセオリーを否定し、新たなキュビスムの時代を生み、ジョルジュ・ブラック、マルク・シャガール、マルセル・デュシャらなどによって「20世紀絵画」は幕を開ける・・・
↑ (ピカソのアヴィニョン)
← (ジョルジュ・ブラック)
そして、ヨーロッパ全土に産業革命が浸透し、1860年頃のイギリスで生まれた新しい総合的な芸術や工芸運動「アーツ・アンド・クラフツ運動」の動きは、フランスのアール・ヌーヴォー(Art Nouveau/新しい芸術:1893年)、ドイツのユーゲント・シュティール (Jugendstil/青春様式:1896年)、オーストリアのウィーン分離派(Sezession/ゼツェッシオン:1897年)が生まれ、ヨーロッパ全土に新たな生活文化のスタイルが登場する・・・
1911年、アムステルダムの美術展でキュビスムの作品に接して深い感銘を受けたモンドリアンは、1912年から1914年までパリに滞在し、ピカソやブラックが提唱するキュビスムの理論に従って事物の平面的・幾何学的な形態への還元に取り組みはじめる・・・(モンドリアン42歳)
1914年、第一次世界大戦(1914年〜1918年)が勃発しドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国に日本、イタリア、アメリカ合衆国も参戦し、900万人以上の兵士が戦死する最中・・・
父親の病気でオランダに戻った1914年、その第一次世界大戦が勃発しオランダに留まり、オランダ語で様式を意味するグループ「デ・ステイル:De Stijl」に入り、新造形主義(ネオプラスティシズム:Neoplasticism/Nieuwe beelding)を生み出す・・・
(モンドリアン46歳)
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(de-stijl-1917年の表紙) →
1918年(大正7年)に第一次世界大戦は終結し、翌1919年に、モンドリアンはパリのモンパルナスのデパール街26番地(26 Rue du Depart, Paris)にアトリエを構える・・・
そして作風は、当初に描かれたりんごの「赤い木」は粉々に分解され、ミニマリズムの究極の様に、極限まで幾何学化・単純化された海や樹木、自然に点在する一切の事物の形態から離れた後、再びかれの眼を通し画面に美を「構成」していく抽象絵画の世界へ、黒い碁盤の眼のように上下左右の線のみや、赤・青・黄の三色からなる四角形の色面で様々な間隔の中に配置された絵など、幾多の試行錯誤が繰り返され、その様々な「画面構成」から、作品には「コンポジション:Composition/構成」の題が付けられ、1921年、ついにモンドリアンはモンドリアンにたどり着く・・・
それは水平・垂直の直線と三原色から成る「赤、青、黄のコンポジション」・・・(モンドリアン49歳)
"Composition with Red,Blue,Yellow and Black"
油彩|キャンバス|1921年|59.5 x 59.5 cm
デン・ハーグ市美術館蔵 オランダ:Gemeentemuseum Den Haag
ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年)
そのモンパルナスでは劇場やミュージックホールが多数ひしめき、毎晩、華やかな祝祭と酒や麻薬による乱痴気騒ぎが繰り返される「狂乱の時代:レ・ザネ・フォル/Les Années Folles」を迎え、1928年にパリの画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」から名付けられ、出身国も画風もさまざまで世界各地からやって来てパリのモンパルナスにたむろしボヘミアン的な生活をしていた異邦人の画家たちのエコール・ド・パリ(École de Paris)が登場し、パリは世界中のあらゆる文化を吸収し、世界の文化の坩堝(るつぼ)の様な街へと変貌していた・・・
例えば美を数式の様に・・・
鶴亀算の「算数」から始まり、レオナルド・ダ・ヴィンチによる掛け算や割り算や分数の「数学」へ、そして印象派の一次方程式へ、エコール・ド・パリを二次方程式とすれば、ピカソのキュビスムは三次方程式、カンディンスキーやクレー、モンドリアンで関数や微積分へと、美学を数学に符合するかの様に眺めて見てほしい・・・
← (モンパルナスのアトリエ)
下の「ジンジャーポットのある静物」の1から2へは・・・
分析的キュビスムの時代(1909年~1912年)と呼ばれる、モチーフを徹底的に分解するピカソやジョルジュ・ブラックから抜け出て、ミニマリズムの究極の実験さながらに・・・
それはきっと、モンドリアンがモンパルナスのアトリエで「美」の科学分析の様な美学分析?的な実験を繰り返しながら、必死にモンドリアンの関数や微積分にたどり着く姿の様に映る・・・
"Neoplasticism/Nieuwe beelding" ................................................................................... 「新造形主義」 "Still Life with Gingerpot I & II"(Stilleven met gemberpot I & II) 油彩|キャンバス|1911〜1912年|65.5 × 75 cm & 91.5 × 120 cm ソロモン・R・グッゲンハイム美術館蔵: New York, Solomon R. Guggenheim Museum ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
そしてその様に例えるなら、
美学関数?かのようにドイツのヴァイマルに1919年に国立バウハウスが開校し、
現代のモダンデザインの祖として造形教育の場が生まれる・・・
油彩|キャンバス|1921年|103 x 100 cm デン・ハーグ市美術館蔵 オランダ:Gemeentemuseum Den Haag ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
初代校長のグロピュス、ミースやカンディンスキー、パウル・クレーなど、
「モダンデザイン」が花開く・・・
"Composition with Yellow, Blue and Red" 油彩|キャンバス|1937年〜1942年|72.7 x 69.2 cm テート・モダン蔵 イギリス:Tate Modern,London ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
1930年代、モンドリアンは抽象画家のグループ
「抽象・創造(アプストラクシオン=クレアシオン)」に参加し、
パリで一貫して自らの到達した「コンポジション」の作品を描き続け、
1937年にはエッセイ『造形芸術と純粋造形芸術』を刊行する・・・
「赤、青、黄のコンポジション」 "Composition with Red Blue Yellow" 油彩|キャンバス|1930年|46 x 46 cm チューリヒ美術館蔵 スイス:Kunsthaus Zürich, Switzerland ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
しかし時代は、ヨーロッパ全土に第二次世界大戦の影が忍び寄り・・・
バウハウスのモダンデザインも1933年ナチスによりに閉校されわずか14年間でその幕を下ろし、
"Composition No. 10" 油彩|キャンバス|1939年〜1942年|80 x 73 cm 個人蔵:Private Collection ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
第二次世界戦争が世界を覆い、モンドリアンは1938年にロンドンに移り・・・
"New York City, 3" (unfinished) 油彩|キャンバス|1941年 (未完)|117 x 110 cm ティッセン=ボルネミッサ美術館:Museo de Arte Thyssen-Bornemisza http://www.museothyssen.org/en/thyssen/ficha_obra/908 ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
1940年には激しくなりつつある戦火を避けてニューヨークに移住する・・・
"New York City I" 油彩|キャンバス|1942年|114.2 x 119.3 cm ポンピドゥー・センター蔵|パリ Musée National d'Art Moderne, Centre Georges Pompidou, Paris, France ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
ニューヨークの下町にダンスの音楽が流れ、
発展したモータリゼーション、車がクラクションを鳴らし、
人々は時代をかき分けるような雑踏の日々、夜の帳が下りても街は眠ることなく踊る、
Boogie Woogie・・・ブギウギ・・・
それらの情景は上下左右の線とそれを埋める面によって抽象の中で総ては構成された・・・
"Broadway Boogie Woogie" 油彩|キャンバス|1942年〜1944年 (unvollendet)|127 x 127 cm ニューヨーク近代美術館:MoMA/Museum of Modern Art, New York, USA ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年) |
ニュートンがりんごの木を見て万有引力を紐解くように、
モンドリアンもりんごの木から「美」を実験室の科学分析かのように、
「赤、青、黄のコンポジション」を生み出し、彼の持ち得る「美」のドラマは終わった・・・
妻を持たず終生、美の構成要素を求め続けた男は、
1944年、風邪をこじらせた肺炎で、未完の「ヴィクトリー・ブギウギ」を遺して、
ニユーヨークで72年の生涯を終え、ブルックリンのサイプレス・ヒルズ墓地に眠る・・・
"Victory Boogie Woogie"
油彩|キャンバス|1942年〜1944 年(unvollendet)|126 x 126 cm
デン・ハーグ市美術館蔵 オランダ:Gemeentemuseum Den Haag
ピエト・モンドリアン:Piet Mondrian (1872〜 1944年)
そして彼の死後、彼がたどり着いた水平・垂直の直線と三原色から成る「コンポジション」は、
再び、意外な展開を見せて、我々の前に現れる。
それは、1965年に発表された、イヴ・サンローランの「モンドリアン・ルック」・・・
彼が創り上げた「構成:Composition」と呼ぶ「美(うつくしい)」は、
抽象表現主義やミニマル・アートに受け継がれていき、今日のデザインの基となり、
我々が美を判断する上での素数の様な、或いは「美」を測る物差しのような基準値として、
綺麗か汚いかを見分けるモンドリアン尺度としての単位となり、
現在の生活の中に深く根ずいているのがわかる・・・
「全体は部分から成り、部分は全体を構成し、
全てのものが互いの関係と相互状況とによって構成されている・・・」
「抽象は、普遍性のための機能を果たす造形表現である・・・」
ピエト・モンドリアン
Piet Mondrian/Pieter Cornelis Mondriaan (1872年〜1944年)
(以下・参考サイト)
ピエト・モンドリアン(ピート・モンドリアン、Piet Mondrian、本名ピーテル・コルネーリス・ モンドリアーン Pieter Cornelis Mondriaan 1872年3月7日 - 1944年2月1日)は19 世紀末-20世紀のオランダ出身の画家 ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/ピエト・モンドリアン
https://de.wikipedia.org/wiki/Piet_Mondrian
https://en.wikipedia.org/wiki/Piet_Mondrian
https://hr.wikipedia.org/wiki/Piet_Mondrian
http://www.mondriantrust.com
http://www.moma.org/collection/artists/4057
http://www.snap-dragon.com/PMStudioInt.html
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=7810314
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典|構成|こうせい|composition
一般に多くの部分を,与えられた目的に従って一つの統一的な全体に総合すること。哲学では,おもに概念操作によって認識対象を組立てること。美学では,作者がそのイメージに基づき,平面,立体,空間などの種々の美的表現要素を組立てて1つの作品を作り上げること。
https://kotobank.jp/word/構成-62418
https://ja.wikipedia.org/wiki/構成
こう‐せい【構成】
文芸・音楽・造形芸術などで、表現上の諸要素を独自の手法で組み立てて作品にすること。
こうせいしゅぎ【構成主義】
1910年代にソ連で始まった芸術運動。金属・ガラスなどの工業材料の使用や幾何学的形態の組み合わせによる抽象的構成を目ざす。造形美術全般に及び、ソ連および欧米でそれぞれ独自の展開を遂げた。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/73648/meaning/m0u/
ロシア構成主義(ロシアこうせいしゅぎ、ロシア語: Конструктивизм、英語: Constructivism)とは、キュビスムやシュプレマティスムの影響を受け、1910年代半ばにはじまった、ソ連における芸術運動。絵画、彫刻、建築、写真等、多岐にわたる・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロシア構成主義
アプストラクシオン・クレアシオン/Abstraction-Création(仏)
http://artscape.jp/artword/index.php/アプストラクシオン・クレアシオン
https://ja.wikipedia.org/wiki/抽象絵画
https://ja.wikipedia.org/wiki/キュビスム
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブギウギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブギ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブギウギ_(ダンス)
1930年代からダンス音楽として広まり
ブギウギ(boogie-woogie)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジュ・ブラック
https://en.wikipedia.org/wiki/Georges_Braque
https://en.wikipedia.org/wiki/Pablo_Picasso
De Stijl
http://www.leiden.nu/opinie/de-leidse-stijl-nieuwe-manier-om-samen-te-bouwen-aan-de-stad
モンドリアン・ルック|Mondorian Look
イヴ・サンローランが1965年に発表したミニドレス。オランダの抽象画家ピエト・モンドリアンの作品に着想を得てデザインされたこの服は、白地のシンプルなワンピースが黒の水平線と垂直線で分割され、そこに三原色が大胆に配されていた・・・
http://artscape.jp/artword/index.php/モンドリアン・ルック
自然から抽象へ=モンドリアン論集
http://totodo.jp/SHOP/E3-0057.html
モ ン ド リ ア ン の 「 抽 象 」 に お け る リ ア リ テ ィ
http://www.taji-lab.archi.kyoto-u.ac.jp/studies/b4/2008/08b4_okano.pdf
芸術とデザイン | Designing the Process
http://designyard.jugem.jp/?cid=10
「造形芸術と純粋造形芸術」
https://books.google.co.jp/books?id=JqOxCAAAQBAJ&pg=PA74&lpg=PA74&dq=ピエト・モンドリアン「造形芸術と純粋造形芸術」&source=bl&ots=hoRtoUCR90&sig=dcLHKoIOA_OU7_HIBkvKGhPezfw&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjchbfLs6LNAhUBMJQKHU7gCBcQ6AEIRTAH#v=onepage&q=ピエト・モンドリアン「造形芸術と純粋造形芸術」&f=false
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