マグリットの「詩的な視覚パズル」 "Dépaysement"
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感性のジョークの戯れのごときに、一編の詩か俳句のような余韻を残し、
マグリットの絵は、不思議にも何かが観る者の脳裏を通り過ぎる・・・
それは、あるものを本来ある所から別の場所へ移し、意外な組み合わせを行うことによって観る側を戸惑いと驚きで「人を異なった生活環境に置くこと」で、異和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念の、デペイズマン (仏:Dépaysement )と云われている・・・
そして、本人はそれを「詩」と呼ぶ・・・
デペイズマン (dépaysement)
https://ja.wikipedia.org/wiki/デペイズマン
"The Son of Man/Le fils de l'homme" 人は隠されたものや見る事ができない事象に関心を持ち、 それへの関心は激しい感情となり、見えないものをより見ようと葛藤する・・・ 1964年|116 cm × 89 cm|Oil on canvas|Private collection ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット (René François Ghislain Magritte)は1898年、ベルギー西部のレシーヌに生まれ、父親のレオポール・マグリットは、洋服やテキスタイルを扱う裕福な商人で、母親のレジーナ・ベルタンシャンはお針子、二人の弟と暮らし、1910年一家はシャトレに引っ越し、マグリットは絵画教室に通い油彩画を描き始める・・・マグリット12歳
レシーヌ|ベルギー|Lessines|Kingdom of Belgium
1912年、母親がサンブル川に原因不明の身投げ自殺をし、遺体は2週間後、数マイル離れた河川敷で、裸体で着ていたガウンが顔に巻きつけた姿で発見され、少年マグリットに大きな衝撃を与える。翌年の1913年シャルルロワに引っ越し、高校で生涯の伴侶となるジョルジュエット・ベルジュと出会い、1916年、18歳でブリュッセル美術学校に入学。24歳で高校での幼馴染のジョルジュエットと結婚・・・
1923年頃ジョルジョ・デ・キリコの作品「愛の歌」の複製を見たマグリットは感銘を受け、シュルレアリスムの方向へと、彼の言う「目に見える思考」が始まる・・・
家は3LDKのアパート、アトリエもかまえず、ダイニングの片隅にイーゼルを立てた4畳半程度の狭い空間で絵を描き、絵に登場する人物はマグリットの愛妻ジョルジュエットがモデル。几帳面で口数も少なく、絵を描く時もワイシャツにネクタイを締め、芸術家の格好を嫌い近所でもマグリットが絵描きとは知らない人がいるほど、到底絵描きとは思えない「小市民」として生き続ける・・・
"Golconda" (Golconda=非常にたくさんの豊富な源) 「ゴルコンダ」とは、1687年にムガル帝国によって滅ぼされた、昔々富で栄えた幻のインドの都市の名らしい・・・ 普通の目立たない平均的で特徴のない大衆は個人と集団の差異なく、浮遊と落下を繰り返す・・・ 1953年|81cm × 100cm|油彩・キャンバス|アメリカ・テキサス州ヒューストン|メニル・コレクション蔵 ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
" La Grande Famille/The Great Family" 画面を覆う鳥は、大家族単位で愛で団結する象徴的なカササギらしい・・・ (宇都宮美術館がオープン時の1996年に600万ドル(約6億円)で購入) 1963年|油彩キャンバス|61.4 cm X 49.6 cm|宇都宮美術館蔵 ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
1964年|116 cm × 89 cm|Oil on canvas ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
”Le Viol” 1945年|65.3 cm × 50.4 cm|油彩・キャンバス|ポンピドゥー・センター蔵|Centre Georges-Pompidou, Paris ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
”The Key to the Fields/La Clé des champs” 窓ガラスが粉々に砕けた瞬間に風景は実は窓ガラスに描かれていたことを知る・・・ 1936年|80 cm × 60 cm|油彩・キャンバス|Thyssen-Bornemisza Museum, Madrid, Spain ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
"The-great-war/La Grande Guerre" 1964年|油彩 カンヴァス|81×60 cm|ハリー・トルクツィネ蔵 ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
1914年 (大正3年) 人類史上最初の第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパ全土で900万人以上の兵士が戦死、その足かけ5年にわたった戦争も1918年に終決し、ヨーロッパに平和が戻り、マグリットも1921年から1922年には兵役につき、1922年から生活のため壁紙工場で図案工をしてバラの図案などを描き、1926年まで広告デザインの仕事をする・・・マグリット28歳
パリのモンパルナスでは華やかな祝祭と酒や麻薬による乱痴気騒ぎが繰り返される「狂乱の時代:レ・ザネ・フォル Les Années Folles」を迎え、マグリットは1927年から3年間パリに滞在し、フランスのシュルレアリストたちと交流するが、シュルレアリスム運動の理論的指導者であったアンドレ・ブルトンとはうまが合ず、1930年ブリュッセルへ戻り弟のポールと広告代理店をはじめ、以降ベルギーを離れることはほとんどなかった・・・
しかし、その狂乱の時代も1929年のニューヨーク証券取引所で株価が大暴落した世界金融恐慌をきっかけに、大不況は世界中を席巻し、ついに1939年に第二次世界大戦へと突入し・・・
1940年5月10日、ドイツはルクセンブルク、オランダ、ベルギーを抜けてフランスへと進撃を開始、ベルギー軍は同年5月28日降伏、6月14日パリは、ヒトラー率いるドイツ軍に占領され、モンパルナスの灯は完全に消え、狂乱と祝祭の時代:Les Années Folles は幕を閉じ、1939年から1945年までの6年間、ベルギーやフランスはドイツに占領され、社会的には暗い日々が続き、マグリットも1932年にベルギー共産党に入党後、反政府活動のビラなどを作り、1946年にはビラを巡って警察とも一悶着起こしている・・・
←(マグリットのデザイン作品・・・)
"Beautiful world/Le Beau Monde" マグリットは「私の目の前にカーテンがかかっているように、世界を見ることができた」と語っている・・・ 1962年|油彩 カンヴァス|100×81㎝cm|個人蔵 ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
美の時代も・・・
印象派後は、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現したフォーヴィスム(Fauvisme 野獣派)が生まれ、1907年のパブロ・ピカソ「アヴィニョンの娘たち」は伝統的な西洋画のセオリーを否定し「20世紀絵画」は幕を開け、パリのモンパルナスでは、個性あふれるエコール・ド・パリ(École de Paris)の時代へと・・・
それは、完成された道具や技術の継承は、古典や写実は言うに及ばず、印象派や野獣派を通り越え、絵画手法の「いかに描くか」から、個人のオリジナリティーを主とする「なにを描くか」の時代を迎えていた・・・
そして、マグリットがキャンバスに求めた「詩」と呼ぶ美は、時代の中に点在する無言の言葉であり・・・
銀行員のような服装、アトリエをもたず、スキャンダラスな噂や奇行も無く、口数も少なく静かでごくごく普通の人間として、画家でない画家は「エピソードなき巨匠」と呼ばれている。
しかしそれは、4畳半程度の狭いダイニング兼アトリエで、およそ1800枚余の絵が描かれ、何も語らない人々や、さりげない物たちの不可思議な組み合わせが、彼の言う「詩」として画面を通し我々に今も語りかけている・・・
"The Domain of Arnheim/Le domaine d'Arnheim" (1938年、1948年、1949年、1962年...と複数あり、1962年のが一番よく知られている) エドガー・アラン・ポオの小説「アルンハイムの地所 (領地) 」のイメージで描いたらしい・・・ ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
野外でのスケッチはせず、4畳半程度の狭いダイニング兼アトリエで・・・
「目の中に書き留め、頭に記すんだ」・・・
"Pphilosophy in the bedroom/La Philosophie Dans Le Boudoir" 1947年|195 x 152 cm|Oil on canvas|Thomas Claburn Jones Collection | New York ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
"The Blank Signature" 「見えるもの」と「見えないもの」を同時に見ることはできないが、 その両方の存在を察知することは出来て、それを許す白紙委任の許可証らしい・・・ 1965年|81.3x 65.1cm|油彩・キャンバス|ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵 National Gallery of Art, Washington, Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon, ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
「そうした詩の心を抽出して出来上がったのが私の絵だ」・・・
「黒魔術」 "La magie noire/Black Magic" モデルの妻ジョルジェットを、 上半身の青空と大理石の彫像とを融合させ、伝統美術と前衛美術が並存させた・・・ 1945年|54 x 73 cm|個人蔵|Private collection ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
”La durée poignardée/the Castle in the Pyrenees” 1959年|200cm × 140 cm|油彩・キャンバス|イスラエル美術館蔵:Israel Museum, Jerusalem ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
マグリットはブリュッセル郊外の自宅(現・Musée René Magritte 美術館)で癌のため、
1967年、愛妻ジョルジュエットに見守れながら68年の時を閉じ、
そして、彼の言う「目に見える思考」は終わった・・・
"The Pilgrim" 1966年|81 cm × 65 cm|油彩・キャンバス|ヒラリー&ウイルバー・ロス蔵:Hilary & Wilbur Ross ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット:René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年) |
「絵画は詩的であるべきであり、詩とは不思議な感情を呼び起こすものである」
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René François Ghislain Magritte(1898年〜1967年)
(以下・参考サイト)
ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット (René François Ghislain Magritte, 1898年11月21日 -1967年8月15日[1]) はベルギーの画家・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルネ・マグリット
デペイズマン (dépaysement) とは、シュルレアリスムの手法の1つ。この言葉は、 もともとは「異郷の地に送ること(dé「分離」+pays「国、故郷」+ment(名詞の語尾))」 というような意味であるが、意外な組み合わせをおこなうことによって、受け手を驚かせ、 途方に ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/デペイズマン
デペイズマン Dépaysement(仏)
「人を異なった生活環境に置くこと」、転じて「居心地の悪さ、違和感;生活環境の変化、気分転換」を意味するフランス語。美術用語としては、あるものを本来あるコンテクストから別の場所へ移し、異和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念を指す・・・
http://artscape.jp/artword/index.php/デペイズマン
現代美術用語辞典 1.0
http://artscape.jp/dictionary/modern/1198547_1637.html
ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, 1888年7月10日 - 1978年11月20日)は、イタリアの画家、彫刻家。形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。
キリコは1912年にパリの無審査展覧会で作品を発表し始めたが、アーチの並ぶ古典的な建築、古代ギリシャ風の彫刻、煙を吐いて走る機関車などを配した風景画は当時の流行とは全く異質で、すぐには理解されなかった。しかし詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールに見いだされ、のちのダダイスム、シュルレアリスムに大きな影響を与えた。カルロ・カッラやジョルジョ・モランディのような追随者も生んだ。キリコはその後古典的な作風に転じたが、晩年には幻想的な作風に回帰した・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジョ・デ・キリコ
←「愛の歌」1914年
ルネ・マグリット「ピレネーの城」 - KIRIN~美の巨人たち~
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/110319/
The Blank Signature 1965|National Gallery of Art
http://www.nga.gov/content/ngaweb/Collection/art-object-page.66422.html
Magritte, René |Belgian, 1898 - 1967
http://www.nga.gov/content/ngaweb/global-site-search-page.html?searchterm=René_Magritte&%3Acq_csrf_token=undefined
ルネ・マグリット「白紙委任状」 - KIRIN~美の巨人たち~
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/080906/
ルネ・マグリットの生涯年表
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2195231
René Magritte / ルネ・マグリット - 作品
https://matome.naver.jp/odai/2138762921202942901
https://www.wikiart.org/en/rene-magritte/portrait-of-stephy-langui-1961
Musée Magritte
https://fr.wikipedia.org/wiki/Musée_Magritte
マグリット美術館への行き方、開館情報 | ベルギー個人旅行ガイド
http://allaboutbelgium.com/magritte-museum/
マグリット美術館|ベルギー観光局ワロン・ブリュッセル公式サイト
http://www.belgium-travel.jp/special/magritte.html
ベルギーの「ルネ・マグリット美術館」が美しすぎる! - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2142232539363457601
Musée René Magritte
https://fr.wikipedia.org/wiki/Musée_René_Magritte
Musée René Magritte (マグリットの住んでいた家)
Rue Esseghemstraat 135, 1090 Bruxelles
http://hanatomo31.exblog.jp/8661087/
2つのマグリット・ミュージアム
http://guide.travel.co.jp/article/12454/
ルネ・マグリット - ベルギー観光局ワロン・ブリュッセル
http://www.belgium-travel.jp/destination/by_theme/culture/magritte.htm
ノラの絵画の時間|3分でわかるルネ・マグリット
http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1027736785.html
【作品解説】ルネ・マグリット「人の子」 - 山田視覚芸術研究室 / 前衛芸術と ...
https://www.ggccaatt.net/2015/02/28/ルネ-マグリット-人の子/
エドガー・アラン・ポオの小説「アルンハイムの地所(領地)」The Domain of Arnheim, 1846年
http://enjugroup.blog.jp/エドガー・アラン・ポー「アルンハイムの地所」
https://ja.wikipedia.org/wiki/エドガー・アラン・ポー
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