続・吉野桜の「一目千本」・・・その二
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そして人々は、この吉野の深い自然の中に身を委ね、隠者となり庵を結び、権力から逃れ、或いは独立の朝廷を築き、今この深い山間にそれらを抱くように、桜咲き静かな時が流れている・・・
吉野山|奥千本/上千本/中千本/下千本|Google マップ
(2017年4月14日撮影)
「如意輪寺」(にょいりんじ)
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本尊は如意輪観音。本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓がある...
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際に勅願所とされたが、天皇は還京叶わぬまま崩御して本堂裏山に葬られた。以来寺運は衰えたが、慶安3年(1650年)文誉鉄牛上人によって本堂が再興され、その際に真言宗から浄土宗に改宗した...
正平2年(1346年)12月、楠木正成の長男・楠木正行が四條畷の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、正行は当寺本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが今も寺に伝わっている・・・
芭蕉は、ここに立ち寄った折、「御廟年を経てしのぶは何をしのぶ草」などの句を残している・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/金峯神社_(吉野町)
如意輪寺の公式サイト
http://www.nyoirinji.com
注(小さい写真は画面をクリックすると別窓で拡大します)
後醍醐天皇は・・・
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第96代天皇にして南朝の初代天皇(在位:文保2年/1318年3月29日〜延元4年-暦応2年/1339年9月18日)として、二度の廃位と譲位を経て、足利尊氏の京都占領によって建武政権が崩壊後、京都を脱出し賀名生(あのう:現・五條市)を経て吉野吉水院に入り、金峯山寺の塔頭・実城寺を「金輪王寺」と改名して行宮と定め、これは吉野行宮(よしののあんぐう)と呼ばれ、南朝政権(吉野朝廷)を樹立する・・・
南北朝時代は、持明院統と大覚寺統で割れた後の京都朝廷(北朝)と吉野朝廷(南朝)が並立し、1392年(元中9年/明徳3年)まで56年間続いた・・・
後醍醐天皇は、各地に自分の皇子を送って北朝方に対抗したが、しかし、劣勢を覆すことができないまま病に倒れ、延元4年・暦応2年(1339年)8月15日、吉野へ戻っていた義良親王(後村上天皇)に譲位し、翌日、吉野金輪王寺で朝敵討滅・京都奪回を遺言して崩御した。享年52(満50歳)・・・
(以下・参考サイト)
<ブログ内関連記事>
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吉野桜の「一目千本」/2014年04月18日
http://guchini.exblog.jp/i118/
桜情報|吉野山観光協会
http://www.yoshinoyama-sakura.jp/sakura.php
如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺である。山号は塔尾山(とうのおさん)。本尊は如意輪観音。本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓がある・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/如意輪寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/楠木正行
楠木正行公一代記 - 如意輪寺
http://www.nyoirinji.com/masatura.html
http://www.nyoirinji.com/masatura_1.html
南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間をいう・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/南北朝時代_(日本)
吉野行宮(よしののあんぐう/よしのあんぐう)
延元元年/建武3年(1336年)の暮、足利尊氏の京都占領によって建武政権が崩壊(建武の乱)し、幽閉されていた後醍醐天皇が京都を脱出して穴生(賀名生)を経由して吉野吉水院に入り、数日後に近くの金峯山寺の塔頭・実城寺を「金輪王寺」と改名して行宮と定めた。これが吉野行宮である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉野行宮
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、南朝の初代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日) - 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に二度の廃位と譲位を経ている。諱は尊治(たかはる)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/後醍醐天皇
役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。姓は君。 修験道の開祖とされている。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/役小角
役行者(えんのぎょうじゃ)とは - コトバンク
百科事典マイペディア - 役行者の用語解説 - 7世紀末に大和(やまと)の葛木(かつらぎ) 山にいたという呪術(じゅじゅつ)者。役小角(えんのおづぬ)とも。《続日本紀(しょくにほんぎ)》によれば,役君小角(えのきみおづぬ)といい,秩序を乱したので699年に伊豆(いず) ...
https://kotobank.jp/word/役行者-821579
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