ぶらり京都-137 [路地と辻子]
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行き止まりは路地(ろうじ)と呼ぶらしい・・・
高瀬川の桜並木沿いを二条通りから四条通りまで、鴨川や先斗町に抜ける路地「ろうじ」と辻子(図子)「ずし」の細い道とふれあいながらぶらりと歩いてみる・・・
一之船入(二条大橋)→八之舟入址(四条)|高瀬川沿い木屋町通|Google マップ
(2017年5月7日撮影)
■ 木屋町二条下ル 鳥料理 「新三浦」・・・女優・森光子の生家 .................................................................................................................................................... 木屋町二条下ルにあった、1918年 (大正7年)年に創業の割烹旅館「國の家」は、俳優の嵐寛寿郎の従妹で、女優・森光子の母方の実家で生家であったが、1959年 (昭和34年)に「新三浦」が買い受け、現在は博多風の白濁したスープが特徴の水炊きの鳥料理店になっている・・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/森光子 http://www.sankei.com/west/news/130221/wst1302210026-n1.html http://www.kyoto-yuka.com/shop/kamikiya/shinmiura.html |
幼い頃、きっとこの路地で鬼ごっこや缶けりをして遊んでいたのだろ・・・
■ 木屋町通御池上ル 上木屋町 料亭 「幾松」・・・桂小五郎と芸妓幾松の寓居跡 .................................................................................................................................................... 幕末の倒幕運動に大きな役割を果たした維新の三傑の一人である桂小五郎(のち木戸孝允)と三本木の芸妓幾松(のちの松子夫人)の木屋町寓居跡。木戸孝允が没した翌日、松子夫人は剃髪染衣し翠香院と号し、お二人の想い出に溢れた当屋敷で余生をお過ごした・・・ http://www.ikumatsu.com http://www.ikumatsu.com/history-jp.html http://www.ikumatsu.com/menu-jp.html https://ja.wikipedia.org/wiki/木戸松子 |
■ 木屋町通三条上ル 料理旅館 「金茶寮」きんちゃりょう・・・武市半平太寓居跡 ......................................................................................................................................................................... 土佐勤王党を率いた武市半平太(武市瑞山)が京都の宿舎にしていた料亭・四国屋(丹虎)の跡。現在は料亭「金茶寮」・・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/武市瑞山 http://japanserve.com/spt-kyoto-29-takechi.html http://bakumatsusanpo.com/takechi_hanpeita.html |
■ 京都三条木屋町下ル 「本間 精一郎」・・・本間精一郎遭難の地 天保5年(1834年) - 文久2年閏8月20日(1862年10月13日) .................................................................................................................................................... 越後国三島郡寺泊(現新潟県長岡市)出身の勤皇の志士。早くから江戸や京で学び、尊王攘夷の思想に目覚める。本間は故郷越後から江戸に出て清河八郎らと親交を結び、清河より一足早く京に上って、薩摩や土佐に倒幕を説いた。しかし、利発で勝気な気性の彼は論争に強く自己の実績を過大に喧伝していたため、薩摩や土佐の貧しい出の浪士たちや、彼の存在を疎ましく思う同志が、彼にしこたまの酒を飲ませてからの殺害を企てた。その計画にまんまとはまり、同志の凶刃に斃れることとなった(実行者は田中新兵衛・岡田以蔵と言われる)・・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/本間精一郎 |
頑固なのか、カッコ良いのか、それともしぶといのか・・・
街の人々の気丈夫な気概に支えられて生きてきたようだ・・・
人の匂いのする路地や横丁の空間を自らの設計には組み込まずして、
人間疎外のようなビルの谷間に真の人間の営みはあるのだろうか・・・
不思議にも新しいものを受け入れ絶えず時代に組み込み続けている・・・
■ 四条河原町 「喫茶ソワレ」・・・非日常の空間が広がるレトロ喫茶 .................................................................................................................................................... 喫茶ソワレは、1948年創業の老舗喫茶店。創業当時から変わらない淡いブルーの照明に包まれた店内は、BGMがなく外の喧騒とはかけ離れた静寂で幻想的な雰囲気。また、美人画の巨匠・東郷青児ゆかりの店でもあり、看板やグラスなど店内のいたるところにその絵があしらわれている。名物は、ソーダ水に5色のゼリーを浮かべた「ゼリーポンチ」(650円)・・・ http://aquadina.com/kyoto/spot/3817/ |
それがあることに、街は分厚い重低音をも飲み込む深くて広い音域を奏でるのだろう・・・
「そうどすな〜」・・・
少し、京極方面へ、京のかぜを吸い込み家路につく・・・
(以下・参考サイト)
京都の突抜・辻子・図子・路地(ろうじ) - Alleys in Kyoto
家と家の間に通じた細い道のうち、次の通りまで突き抜けているものを辻子(図子)、行き止まりになりコの字型に家が並び、通りの入口に家の数だけ表札が掛けられている所を路地(ろうじ)と呼ぶ・・・
https://ja.foursquare.com/egeggee/list/京都の突抜辻子図子路地ろうじ--alleys-in-kyoto
上京区域における図子の分布
http://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012352.html
【第8回】 京町家のデザイン (その2)路地【ろうじ】と辻子(図子)【ずし】
http://www.digistyle-kyoto.com/study/culture/machiya/machiya08.html
路地(ろうじ)と辻子(ずし)は違うもので、行き止まりの袋小路になってるのを路地(ろうじ)といい、突き当たりを向こう側の通りまで貫通させて通路として開放されたのを辻子(ずし・・・図子とも書くらしい)という...そうです。
http://g7blog.exblog.jp/10055965/
【京都】古えの時間が流れる路地裏という小径
京都には様々な顔があります。粋な人は知っている魅力の一つ。そうそれが裏路地です。京都には素敵な裏路地や図子がとてもたくさんあります。京都を訪れた際は、路地裏を散策、散歩されてみてはいかがでしょう。きっとお気に入りの道が見つかるはずです。
https://matome.naver.jp/odai/2145829180465157601
木屋町界隈に見る維新の群像
http://www.kyoto-yuka.com/column/h29.html
喫茶ソワレ
http://aquadina.com/kyoto/spot/3817/
東郷青児ゆかりの京都の乙女喫茶「ソワレ」
https://woman.excite.co.jp/blog/sanpo/sid_0001106/
http://kyotokentei.com/?p=7549
https://plaza.rakuten.co.jp/otegami/diary/201311030000/
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