宗達と素庵「嵯峨本フォントの櫓拍子」
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その川、丹波山地の東部付近を源とし、大堰川(おおいがわ)と呼ばれて亀岡盆地を貫流し保津川となり、風光明媚な保津渓谷を経て嵐山の渡月橋から桂川と名を変え淀川に注ぐ・・・
絵師・俵屋宗達が櫓の音を聞きながら嵐山の保津渓谷の切り立った岩肌の中腹に建つ観音堂・大悲閣 「千光寺」の別院に古活字版で刊行された「本朝文粋(ほんちょうもんずい)」を納めに、パトロンでクライアントの角倉素庵(与一)を訪れたのは、世も徳川三代将軍・家光の少し落ち着きだした春まだ浅い頃、納品後この稀代なる絵師は自らの絵筆を置こうと川面をつたう櫓の音を耳にしていた・・・
舟は渡月橋を望む桂川の岸辺の、当時、河畔にあった角倉家の舟番所で現在は嵯峨角倉屋敷址「花のいえ」の素庵の隠居屋敷に止められ・・・
絵師が装丁した平安時代中期の漢詩文集の14巻が古活字版で印刷され、素庵の校訂によるその「本朝文粋(ほんちょうもんずい)」は、寛永7年(1630年)に出版された・・・
嵯峨角倉屋敷址「花のいえ」|京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町|Google マップ
「角倉素庵」(すみのくら そあん)1571年〜1632年
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時は怒涛のように通り過ぎている・・・
素庵は、織田信長の比叡山焼き討ちが起こる、元亀2年 (1571年) 、京都の豪商、角倉了以 (すみのくら りょうい) の17歳の時に長男として生まれ、名は与一。天正10年(1582年)本能寺での信長の死後、世は秀吉の時代へと移る・・・
当時の角倉家は勘合貿易で薬も扱っていた医者であり、父の了以が対明貿易で富をなし、素庵も御朱印船で1603年からインドシナ半島アジア諸国へと父の了以を補佐し、京では大堰川開削工事を行い保津峡を嵐山まで船を渡した。当時舟は国内外を問わず荷馬車で運ぶのに比べ大量に且つ早く運べる重要なインフラであり、角倉家は海外のみならず、亀岡から嵐山経由で京や大坂への木材輸送や、丹波の豊富な米や野菜、薪炭などの物産を運び、その通舟料を得て莫大な富を手に入れ、その後も角倉家は全国的に、1608年の富士川の疏通を完成させ、1614年には高瀬川の開疏を完成させている・・・
今日パソコンで作業する時、文字すなわちフォントと呼ばれる書体を選んで文章を綴る、それは明朝体やゴチック体であったり英文字も〇〇フォントで表現されるように、西欧でグーテンベルクがアルファベット26文字とアラビア数字10文字を金属活字にして、組版による活版印刷技術を完成させて印刷と云う情報革命を持って、中世から近世の扉を開けたのが1445年 (文安2年) で、日本では応仁の乱の約10年ほど前にあたる室町時代中期頃であり、当時の書画や書籍は一点ものの教養人による毛筆の写本がほとんどだった・・・
素庵は仕事の傍、藤原惺窩より儒学を学び林羅山を知り教養を高め、本阿弥光悦より書を習い、後に「寛永の三筆」と言われ、その光悦の書から文字を彫り出し木版活字を創りあげ、現代で言う所の流麗な「嵯峨本フォント」を木版で完成させる・・・
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← ヨハネス・グーテンベルク
「四十二行聖書の冒頭、ヒエロニムスの書簡」
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古活字版|嵯峨本「伊勢物語」|慶長13年 (1608年) 刊2冊
27.1×19.4cm |国立国会図書館デジタルコレクション蔵 ↓
光悦の文字は素庵によって、一文字一文字を木の組版にして、あるいは熟語を1組にして「嵯峨本(さがぼん)」と言われる木版活字の組版で印刷された古活字本と云われ、人気の伊勢物語に史記や方丈記、徒然草などの書籍群を編集し、慶長13年から15年にかけ数種刊行される・・・
嵯峨本フォント|古活字版
(出典)↓ http://blog.goo.ne.jp/kyopyong/e/bcbade642ee999f4c0a350b600f47bb9
"Screen with Scattered Fans" 1600年代初期|紙本着色|6曲1隻|フリーア美術館蔵|ワシントンD.C. Freer Gallery of Art, Smithsonian Institution, Washington, DC|Charles Lang Freer ●(画面クリックで 拡大します・・・) 俵屋 宗達 (通称:野々村宗達):Tawaraya Sōtatsu(生没年不詳:early 17th century) |
「俵屋宗達」生没年不詳
(たわらや そうたつ) Tawaraya Sōtatsu
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絵師・俵屋宗達が世に躍り出たのはいつの頃かわからない、出生や没年もわからないが、角倉素庵や烏丸光広と同年代の1570年前後生まれと推定されている。当初は扇絵を中心とした屏風絵を描き始め「俵屋」の扇は市中でもてはやされ、人気はやがて当代一流の文化人であった、元和元年(1615年)徳川家康から鷹峯の地を拝領していた本阿弥光悦に巡り会い、嵯峨本フォントと呼ばれる本阿弥光悦との書とのコラボの絵巻物(右の絵)が数点存在し、時に光悦に書を習っていた角倉素庵に出会い、古活字版の装丁などの意匠で密接な付き合いが始まる・・・
その宗達の工房は鴨川の東、清水寺参詣の清水道に面した六波羅蜜寺辺り「六原の絵かき」と呼ばれ「俵屋」という屋号の、現代風にはデザインスタジオに近い「絵屋」を営んでいたらしい・・・
鴨川の五条辺りは六条河原の処刑場などと背中合わせのように、河原には士農工商の身分制度に属さない最下層の身分の者や役者や芸術家などの「河原者」が多く、その東山一帯は京都の三大風葬地「鳥部野」でもあった・・・
そして、素庵に突然不幸が訪れる・・・
寛永4年 (1627年)に 、素庵は予期せぬ病の「癩(らい)病」(ハンセン病) にかかり・・・
この病、松本清張の長編推理小説「砂の器」の物語のように、当時は不治の病として、生涯放浪の旅に出るか物乞いの生活を送り、一族からも差別の中で河原者にも入れないほどの偏見の中で死を迎える・・・
その後、素庵は失明し、二人の息子に支えられながら、ひっそりと人目を避けて嵯峨千光寺跡に隠棲し、寛永9年 (1632年) 静かに時を終え、一族の二尊院墓所からは離れた化野念仏寺に埋葬される。享年62歳・・・
伊勢物語第九段/「蔦の細道図屏風」六曲一双|相国寺蔵
寛永7年(1630年)校訂された「本朝文粋」十四巻は、宗達の手よって出版され・・・
そして、数々の合作を生みながら、師とあおぐ大家の本阿弥光悦が、
1637年(寛永14年)に洛北の鷹ヶ峰の地で79歳の時を終える・・・
"Dragons and Clouds (Unryū-zu)" 江戸時代 1600年代初期|六曲一双|171.5 x 374.3 cm|紙本墨画淡彩|フリーア美術館蔵 Freer Gallery of Art, Smithsonian|Washington, D.C. ●(上下の画面クリックで 拡大します・・・) 俵屋 宗達 (通称:野々村宗達):Tawaraya Sōtatsu(生没年不詳:early 17th century) |
その後、絵師・俵屋宗達は・・・
そこには互いを結びつけた櫓拍子のように、素庵と宗達が創り上げた嵯峨本 (角倉本) が残り、
本阿弥光悦を素とした流麗な「嵯峨本フォント」は今日デジタルの中で蘇っている・・・
角倉素庵 (すみのくら そあん:名は与一) 元亀2年 (1571年)〜 寛永9年 (1632年)
俵屋 宗達 (通称:野々村宗達):Tawaraya Sōtatsu(生没年不詳:early 17th century)
http://epublishing.jp/sagabon/
(以下・参考サイト)
↑「大悲閣 千光寺」(せんこうじ)
江戸時代初期、豪商角倉了以(すみのくらりょうい)が、大堰川を開削する工事で亡くなった人々を弔うために、嵯峨の中院にあった千光寺を現在地に移転させた・・・
京都市西京区嵐山中尾下町62 嵐山|千光寺|Google マップ
←角倉 了以(すみのくら りょうい、天文23年(1554年) - 慶長19年7月12日(1614年8月17日))は、戦国期の京都の豪商。朱印船貿易の開始とともに安南国との貿易を行い、山城(京都)の大堰川、高瀬川を私財を投じて開削した。また幕命により富士川、天竜川等の開削を行った。地元京都では商人と言うより琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に「水運の父」として有名である・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/角倉了以
<ブログ内関連記事>
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ぶらり京都-56 [嵐山・千光寺]
http://guchini.exblog.jp/21694569/
ぶらり京都-94 [渡月橋の鵜飼い船]
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琳派の「鶴」‧ ‧ ‧ "Gunkaku zu Byōbu"
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ぶらり京都-129 [嵐峡の雪化粧]
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第五回 古活字版・整版本「嵯峨本」の成立と展開
http://www.sotatsukoza.com/menu/sotatsukoza_shiryo5.pdf
「宗達を検証する」after講座 WEB配信スタート!
序章〜 わたしの俵屋宗達 林進
http://www.bunkamura.co.jp/bookshop/topics/after.html
[PDF]角倉素庵と俵屋宗達 - 宗達を検証する after講座
http://www.sotatsukoza.com/image/kansaiuniv_shiryo.pdf
『本朝文粋』(ほんちょうもんずい)は平安時代中期の漢詩文集。14巻。藤原明衡撰。平安時代初期から中期の漢詩文427編を分類し収める。
https://ja.wikipedia.org/wiki/本朝文粋
https://kotobank.jp/word/本朝文粋-135164
宗達・素庵関係年譜
http://www.sotatsukoza.com/history.html
宗達と素庵 講師=林 進
第一回 序章 宗達画の《かたち》と《こころ》 ― 重要文化財「田家早春図扇面」を読み解く―
http://www.sotatsukoza.com/menu/sotatsukoza_shiryo1.pdf
第二回「宗舟・平次宛 角倉素庵書状」から見えてくる絵師宗達の実像 ― 宗達の居住地と社会的基盤について―
http://www.sotatsukoza.com/menu/sotatsukoza_shiryo2.pdf
保津川トップ> 歴史ブログ|船頭だより
https://www.hozugawakudari.jp/blog/blog_category/history-blog
琳派400年 俵屋宗達と角倉素庵の友情物語。~
https://www.hozugawakudari.jp/blog/君は角倉了以・素庵親子を知っているか?第一話
https://www.hozugawakudari.jp/blog/君は角倉了以・素庵親子を知っているか?第二話
https://www.hozugawakudari.jp/blog/君は角倉了以・素庵親子を知っているか?第三話
https://www.hozugawakudari.jp/blog/君は角倉了以・素庵親子を知っているか?第四話
https://www.hozugawakudari.jp/blog/君は角倉了以・素庵親子を知っているか?第5話
https://www.hozugawakudari.jp/blog/角倉了以と保津川下り、そして大悲閣千光寺
ハンセン病(ハンセンびょう、Hansen's disease, Leprosy)は、抗酸菌の一種であるらい菌 (Mycobacterium leprae) の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンセン病
化野念仏寺 角倉素庵の墓
https://blogs.yahoo.co.jp/kanezane2/24401287.html
http://takaoka.zening.info/Kyoto/Arashiyama/Adashino_Nenbutsuji_Temple/Sumikura_Soan_Tomb.htm
フリーア美術館|ワシントンD.C.|Freer Gallery of Art Washington, D.C.
Dragons and Clouds (Unryū-zu). Tawaraya Sōtatsu; Japan, Edo period, 1590-1640
http://tsuzuri.kyo-bunka.or.jp/tsuzuri/archive/04-05.html
鶴図下絵和歌巻(つるずしたえわかかん) | 京都国立博物館
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html
綴プロジェクト作品(高精細複製品)「雲龍図屏風」 俵屋宗達
http://canon.jp/tsuzuri/homecoming/vol-08.html
http://tsuzuri.kyo-bunka.or.jp/tsuzuri/archive/04-05.html
俵屋宗達|日本の伝統美
http://zuien238.sakura.ne.jp/newfolder1/fusuma-tawaraya-soutatsu.html
慶長13年再刊 古活字版 第2種(ハ)本 色替り料紙 原装上本 2冊
http://www.abaj.gr.jp/recommendation/vol002/7.php
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287963/15
http://jumgon.exblog.jp/15664069/
http://www.ndl.go.jp/exhibit60/copy1/1ise.html
伊勢物語第九段
http://www.geocities.jp/yasuko8787/71209-ise.htm
京都嵐山|嵯峨角倉屋敷址「花のいえ」(公立学校共済組合 嵐山保養所)
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町9
http://hananoie.gr.jp
桂川(かつらがわ)は京都府を流れる淀川水系の一級水系・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/桂川_(淀川水系)
https://kotobank.jp/word/大堰川-38990
https://ja.wikipedia.org/wiki/河原者
俵屋 宗達(たわらや そうたつ、生没年不詳)は、江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/俵屋宗達
角倉 素庵(すみのくら そあん、元亀2年6月5日(1571年6月27日) - 寛永9年6月22日(1632年8月7日))は、江戸時代初期の土木事業家、儒学者、書家、貿易商。角倉了以の子・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/角倉素庵
角倉 了以(すみのくら りょうい、天文23年(1554年) - 慶長19年7月12日(1614年8月17日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての京都の豪商・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/角倉了以
本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/本阿弥光悦
俵屋 宗雪(たわらや そうせつ、生没年不詳)は、江戸時代初期の琳派の絵師。
俵屋宗達の後継者で、その弟とも弟子とも言われるが定かでない・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/俵屋宗雪
嵯峨本は、一文字/一活字で組み合わせるのではなく、光悦(素庵の説もある)が書いた縦書き、崩し字の文字を数字(2-3字など)単位で木活字に作り、組み合わせて製版していた・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/嵯峨本
嵯峨本のように町人の手になる業としての出版も行われるようになった。慶安ごろまでは比較的広い範囲で活字印刷がおこなわれたが、再版の際に活字を組みなおす手間が出版費を高騰させるなど、発展しつつあった出版産業のなかでしだいにその地位を失い、通常の整版本に座を譲っていった・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/古活字本
技術と方法(1)活字 | 文字を組む方法 | 文字の手帖 | 株式会社モリサワ
株式会社モリサワ
http://www.morisawa.co.jp/culture/japanese-typesetting/04/
近世初期に花開いた古活字版の世界 ① - 印刷博物館
http://www.printing-museum.org/communication/column/pdf/column_12.pdf
古活字版と近世初期の出版
http://www.mmjp.or.jp/seishindo/essay/meiji_110701.pdf
第7回 古活字版と商業出版のはじまり 6/9
http://www.mmjp.or.jp/seishindo/seikei_kinsei/bunkengaku2011_07.pdf
https://ja.wikipedia.org/wiki/古活字版源氏物語
http://www.ryoshimizu.net/sagabon-1320.html
http://kitacafe.studio-kitazaki.com/2012/08/blog-post_2.html
嵯峨本プロジェクト
http://blog.goo.ne.jp/kyopyong/e/bcbade642ee999f4c0a350b600f47bb9
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨハネス・グーテンベルク
「雲龍図屏風」細部 俵屋宗達
江戸時代 1600 年代初期 六曲一双 紙本墨画淡彩 フリーア美術館 F1905.229-230 Freer
https://www.asia.si.edu/press/downloads/Sotatsu_Press_Release_JP2.pdf
ハンセン氏病を物語の背景とした・・・
石川県の寒村に生まれた。父・千代吉がハンセン氏病に罹患したため母が去り、やがて村を追われ、やむなく父と巡礼(お遍路)姿で放浪の旅を続けていた。秀夫が7歳のときに父子は、島根県の亀嵩に到達し、当地駐在の善良な巡査・三木謙一に保護された。
松本清張の長編推理小説『砂の器』
https://ja.wikipedia.org/wiki/砂の器
角倉素庵(国際貿易の大商人)語録全3件
「利を共にするは小なりといえども還って大なり」
http://meigennooukoku.net/blog-entry-2829.html
信義はイルカにも通じ、たくらみはカモメも察する。天は嘘偽りを許さない。
https://systemincome.com/50359
嵯峨本フォント公開 - Togetterまとめ
https://togetter.com/li/691328
OpenTypeフォント「嵯峨本フォント」をテキストエディットで楽しむ方法 ..
http://www.macotakara.jp/blog/software/entry-30232.html
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