あるく奈良-47 [本薬師寺] - 布袋葵 -
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お寺は、天武天皇が妻の皇后、後の持統天皇(鵜野讃良:うののさらら)の病気平癒を祈って天武9年(680年)に建立した官寺で、710年の平城京遷都で養老2年(718年)頃に薬師寺が西ノ京に移り、その「薬師寺」と区別するため、現在は「本薬師寺」(もとやくしじ)と呼ばれているようだ・・・
数年前から観光用に休耕田(面積約1.4ha)を利用して、約14,000株のホテイアオイ(布袋葵)が植えられ、正式には「ホテイアオイ定植農園」と言われ、今は薄紫色の花が水田一面に広がっている・・・
本薬師寺跡|橿原市城殿町|Googleマップ
(2017年9月25日撮影)
「本薬師寺」(もとやくしじ)
奈良県橿原市の東南に位置する藤原京の薬師寺と呼ばれた寺院。後に持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って天武天皇が建立を誓願した官寺である。平城京遷都で薬師寺が西ノ京に移ると、西ノ京の「薬師寺」と区別するために「本薬師寺」と称されるようになった。本薬師寺は「元薬師寺」とも記されるほか、平城京に造営された薬師寺(平城京薬師寺)に対して、「藤原京薬師寺」などとも呼ばれる。これまでの発掘調査により、およそ11世紀初頭まで存続していたことが認められている。
現在は、橿原市城殿町(きどのちょう)の医王院(白鳳山醫王院)の境内に、伽藍の遺構のうち金堂の礎石の一部が残る。また、東塔や西塔の土壇および心礎などの礎石が周囲の水田に残存しており、本薬師寺跡として特別史跡に指定されている。現在、金堂跡周辺の休耕田を利用して橿原市立畝傍北小学校の2年生の手によってホテイアオイの植樹がなされており、例年8月下旬から9月上旬が見頃となっている・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/本薬師寺
「ホテイアオイ」(布袋葵:Eichhornia crassipes)
単子葉植物ミズアオイ科に属する水草である。南アメリカ原産で、水面に浮かんで生育する。花が青く美しいので観賞用に栽培される。別名ホテイソウ、ウォーターヒヤシンス・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/ホテイアオイ
<ブログ内関連記事>
あるく奈良-17 [薬師寺]
http://guchini.exblog.jp/24120855/
あるく奈良-22 [天武持統天皇陵]
http://guchini.exblog.jp/24530423/
(以下・参考サイト)
本薬師寺(もとやくしじ)は、奈良県橿原市の東南に位置する藤原京の薬師寺と呼ばれた寺院。後に持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って天武天皇が建立を誓願した官寺である。平城京遷都で薬師寺が西ノ京に移ると、西ノ京の「薬師寺」と区別するために「本薬師寺」と称されるようになった・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/本薬師寺
橿原市/本薬師寺跡
現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。天武(てんむ)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。
当時は、金堂や東西に二つの塔がありました。平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力です。それ以来、この寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました・・・
http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/motoyakushiji.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/薬師寺
ホテイアオイ(布袋葵、学名:Eichhornia crassipes)は、単子葉植物ミズアオイ科に属する水草である。南アメリカ原産で、水面に浮かんで生育する。花が青く美しいので観賞用に栽培される。別名ホテイソウ、ウォーターヒヤシンス。
南アメリカを原産地とする。北アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、ハワイ、韓国、台湾、日本、東南アジアなどの広い地域で外来種として移入分布している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ホテイアオイ
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