エディット・ピアフの「歌こそすべて」 -La chanson est la vie-
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横で息子が「目を合わすなよ〜、お金っていうぞ・・・」
私は目を伏せてシャンソを聴きながら、横目でメトロのガラス窓に映る二人の芸人を見ていた・・・
パリのメトロ(Métro de Paris)
https://ja.wikipedia.org/wiki/メトロ_(パリ)
https://www.howtravel.com/europe/france/paris/par-access/metro/#Metro
エディット・ピアフ:Édith Piafは、第一次世界大戦(1914年〜1918年)が始まった翌年の1915年(大正4年)、パリは20区の貧しい地区ベルヴィル(Belleville)に、本名エディット・ジョヴァンナ・ガション(Édith Giovanna Gassion)として、イタリア系のリーヌ・マルサ(Line Marsa)の芸名で、カフェのシンガーとして働いていた母親のアンネッテ・ジョヴァンナ・メラール(Annetta Giovanna Maillard, 1898-1945)と、大道芸人であった父親のルイ=アルフォンス・ガション(Louis-Alphonse Gassion, 1881-1944)の間に生まれている・・・
両親は貧しく、生まれてまもなく母方の祖母の元に短期間預けられた後、父親のノルマンディーで売春宿を営んでいた祖母の娼館で育ち、1929年にピアフは大道芸をする父と行動を共にし、1930年には父に反発し父と別れパリ18区のグラン・オテル・ドゥ・クレルモン(Grand Hôtel de Clermont)辺りでストリート・シンガーとして路上で歌って日銭を稼ぐ暮らしが始まる・・・ピアフ15歳
← 当時のパリ20区ベルヴィル|Belleville - Ménilmontant|Googleマップ
学校なんていってない・・・
「私の音楽学校は街角なの・・・」
16歳で御用聞きの少年、ルイ・デュポンと恋に落ちまもなくマルセルと云う女の子を産むも2年後に小児性髄膜炎で亡くなっている・・・
そんな1935年に、パリの路上で歌って日銭を稼いでいたところをナイトクラブ「ジェルニーズ」のオーナー、ルイ・ルプレ(Louis Leplée)に見出され、ナイトクラブで歌いはじめる・・・
身長約 140cm、体重約 40kgの小柄なピアフをルプレはパリの俗語で小さいスズメを意味する「ラ・モーム・ピアフ」(La Môme Piaf)と呼び、のちにこれが芸名となった・・・
ほどなくルプレは殺害され、ピアフはその共犯者であると告発されるが、無罪となる・・・
そんな殺人沙汰の暗い時、無名に近いピアフは、ニース生まれの作詞家レイモン・アッソー(Raymond Asso)に出会い同棲・・・
アッソはピアフを徹底的に磨き上げて、1936年に「異国の人」「情婦たちの歌」でレコードデビュー、1937年に「私の兵隊さん」が大ヒットとなり、1938年にはボビノ座に真打スターとして出演し「エディット・ピアフ:Édith Piaf」の芸名で歌い、スターの道を駆け上っていく・・・ピアフ21歳
1944年ピアフはモンマルトルの「ムーラン・ルージュ」に出演中にイヴ・モンタンを見染め、すぐに恋人関係になり同棲を始め、映画「夜の門」(テーマ曲「枯葉」)にイヴ・モンタンを推薦、映画の成功を願って2年間酒を絶つ程彼に入れ込み、ピアフの願い通りモンタンが世界的なスターになった時、ピアフは静かにモンタンのもとを去り、1939年から1945年までの6年間続いた第二次世界戦争終結後の1946年に、その想いを込めて作ったと云われているピアフ作詞の「バラ色の人生」"La Vie en Rose"は大ヒットし、ピアフの代表曲となった・・・ピアフ31歳
"La Vie en Rose" 「バラ色の人生」 作詞:エディット・ピアフ 作曲:ルイギ (Louiguy) マルグリット・モノ (Marguerite Monnot) ................................................................................... 二つの目がわたしをみつめる 唇にはかすかな微笑 まぎれもない わたしが 愛した人の ポートレート あの人の腕に 抱かれたわたし バラ色の日々 あの人が語った 愛の言葉が わたしをとろけさせる わたしのこころを とらえた人との 幸せな日々 互いのために 生きていこうと 語った人よ それを思うと わたしのこころは 高鳴るのです 幸せだったわたしたち 愛の夜は更けず 悲しみは消え 死ぬほど幸せだった...etc (壺齋散人訳) |
時代は・・・
ピアフがスターの道を駆け上っ第一次世界大戦後の1920年から、パリは華やかな祝祭の「狂乱の時代: Les Années Folles」へと、そして1929年のニューヨークの世界金融恐慌から、第二次世界大戦(1939年〜1945年)へと突入し、6年間に及んだ戦争は1945年に終結する。そして海の彼方のアメリカ合衆国は国内での戦争の傷跡もなく、より富める国として世界の表舞台に登場する。世界的な人気を得たピアフも、ヨーロッパからアメリカ合衆国へと羽ばたき、世界のピアフへと登り詰めていく・・・
1947年、旧フランス領アルジェリア出身の世界ミドル級王者のプロボクサー、マルセル・セルダンとの恋は、パリの酒場で歌っていたピアフに「どうして悲しい歌ばかり歌うの?」の問いに「どうして殴るの?」と返したピアフ。しかし、1949年にセルダンの飛行機事故の死で終わりを告げ、ピアフの心に大きな傷を残し、妻子を持つセルダンとの3年程の恋に終止符を打ち「愛の讃歌」は生まれている・・・ピアフ34歳
多くの恋があり、多くの別れを経験する・・・
「恋というのは、すぐに冷めちゃうから、暖めたり、揺さぶったりしなくちゃいけないよ・・・」
"Hymne à l'amour" 「愛の讃歌」 作詞:エディット・ピアフ (Édith Piaf) 作曲:マルグリット・モノー (Marguerite Monnot) ................................................................................... 空が落ちてこようと 大地が裂けようと わたしは平気よ あなたの愛があれば あなたの腕に抱かれて わたしが震えるとき なにもかも かすむわ 愛される幸せに たとえ地の果てまでも わたしはついていくわ 愛されるならば 月をももぎ取り 運命も変えてみせる 求められるならば 故郷も棄てる 友達だって あなたのためなら 笑われようと 気にはしない あなたのためなら もしもわたしたちを 死が引き離すとも わたしは恐れない あなたに愛されてれば ともに歩みましょう 青い空の彼方を 何も恐れはしない ともに愛し合えば いつまでもともに (壺齋散人訳) |
「シャンソン:Chanson」の語源は、イタリア語の「カンツォーネ:Canzone」やスペイン語の「 カンシオン:Cancion」と同語源で「歌謡」または「小唄」という意味は、ピアフの波瀾万丈の人生において、自らの人生観を歌で「人生とは何か?」を綴ったものに違いない・・・
1951年にピアフは自動車事故に遭い、その後深刻なモルヒネ中毒に苦しんだ。もともとアルコールの常習に、事故の後遺症の麻薬中毒で何度も入退院を繰り返し、1963年に、ピアフがパリの街で名声を不動にした9区の「オランピア劇場:L'Olympia」で、衰弱してようやく立てるという体調でステージに立ち歌ったのを最後に、その年の47歳になってまもなくの、10月10日、ピアフはリヴィエラで癌により波乱に満ちた47年の生涯に幕を閉じた。ふしだらな女としてカトリック教会のパリ大司教は葬儀におけるミサの執行を許さなかったが、遺体はパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬される・・・
葬儀は死を悼む無数の人々が路上に立ち葬列を見送り、パリ中の商店が休業して喪に服し、
パリの交通は完全にストップし、墓地での葬儀は40,000人余のファンで混乱した・・・
もともと文無しで街角から出発したピアフは云う・・・
「私には街が必要よ・・・みんな、街のおかげだもの・・・」
1956年発表の曲、「水に流して」・・・
原題は Non, je ne regrette rien、意味は「私は決して後悔しない」
"Non, Je ne regrette rien" 「水に流して」(私は決して後悔しない) 作詞:ミシェル・ヴォケール (Michel Vaucaire) 作曲:シャルル・デュモン (Charles Dumont) ................................................................................... いいえ いいのよ 後悔なんかしてない いろんな ことが あったけど 水に流すわ いいえ いいのよ 後悔なんかしてない すべて水に流して 気にしないわ むかしのことを 思い出すけど いまとなっては 気にならないわ わたしたちの 愛の始まりを 新たな気持ちで やり直しましょう いいえ いいのよ 後悔なんかしてない いろんな ことが あったけど 水に流すわ いいえ いいのよ 後悔なんかしてない だって あなたと 新たに 愛し合うのだから (壺齋散人訳) |
「喜びと悲しみの間に人生がある」としたら・・・
ピアフは、その生き続けた自らの人生を"Chanson"にすべて綴り尽くしたのだろうか?!!
寝る前に、明日は生きて目を開けているのか?と思うと寝るのが怖い、と・・・
「本当の勇気とは、最後まで生き抜くこと・・・よ」
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https://ja.wikipedia.org/wiki/エディット・ピアフ
(以下・参考サイト)
エディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915年12月19日 - 1963年10月11日)は、フランスのシャンソン歌手。フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/エディット・ピアフ
Louis Leplée (April 7, 1883, Bayonne, France - Paris, France, April 6, 1936) was a French nightclub owne・・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Leplée
Raymond Asso (2 June 1901 – 24 October 1968) was a French lyricist.
https://en.wikipedia.org/wiki/Raymond_Asso
https://ja.wikipedia.org/wiki/シャンソン
fruits.jp/~ogurin/chanson.htm
イヴ・モンタン(Yves Montand、1921年10月13日 - 1991年11月9日)はイタリア出身でフランスで活躍した俳優・シャンソン歌手。本名:イーヴォ・リーヴィ(Ivo Livi)・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/イヴ・モンタン
マルセル・セルダン(Marcel Cerdan、1916年7月22日 - 1949年10月28日)は、 フランス(旧フランス領アルジェリア)出身の元男子プロボクサー。元世界ミドル級王者・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/マルセル・セルダン
エディット・ピアフ博物館
https://en.wikipedia.org/wiki/Musée_Édith_Piaf
パリ11区のクレスパン・ドゥ・ガスト通り(Rue Crespin du Gast)5番地
11区にある小さなアパルトマン。
5 rue Crespin du Gast
75011 Paris
Quartier : Père-Lachaise - Ménilmontan
https://ameblo.jp/comorico/entry-12061524533.html
http://poesie.hix05.com/Chanson/chanson.index.html
エディット・ピアフ:歌詞の日本語訳と解説(壺齋散人訳)
http://poesie.hix05.com/Chanson/01piaf.html
バラ色の人生 La Vie en Rose:エディット・ピアフ
http://poesie.hix05.com/Chanson/02la-vie.html
愛の讃歌 Hymne a l'Amour:エディット・ピアフ
http://poesie.hix05.com/Chanson/03hymn.html
水に流すわ Non, Je ne regrette rien:エディット・ピアフ
http://poesie.hix05.com/Chanson/chanson09.non.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/オランピア_(パリ)
https://www.olympiahall.com
https://www.hotel-etats-unis-opera.com/ja/最新情報-地区-パリ-フランス/1141/パリのミュージックホールと言えばオランピア/
Edith Piaf - La Foule (À L'olympia 1961).mp4
https://www.youtube.com/watch?v=EM69GYvrmoo
Edith piaf "La foule"..1962
https://www.youtube.com/watch?v=HCD2Ht2EqZY
ラビアンローズ:エディット・ピアフ
「ラ・ヴィ・アン・ローズ」(フランス語:La Vie en rose)は、1946年のエディット・ピアフ(Édith Piaf)の代表曲。ピアフ作詞、ルイギ(フランス語版)作曲。日本語では「ばら色の人生」の邦題でも知られる・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラ・ヴィ・アン・ローズ
https://www.youtube.com/watch?v=kq292MbebM0
http://mozartant.blog4.fc2.com/blog-entry-46.html
http://poesie.hix05.com/Chanson/02la-vie.html
https://www.youtube.com/watch?v=kq292MbebM0
「愛の讃歌」(あいのさんか)は、フランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフ(Édith Piaf)の歌。原題は "Hymne à l'amour"(イムヌ・ア・ラムール)・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/愛の讃歌
http://poesie.hix05.com/Chanson/03hymn.html
「水に流して」(みずにながして、Non, je ne regrette rien) は、シャンソンの楽曲である。
シャルル・デュモン(Charles Dumont)作曲のシャンソンで、1956年発表の曲。原題は Non, je ne regrette rien、意味は「私は決して後悔しない」である・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/水に流して_(歌曲)
http://poesie.hix05.com/Chanson/chanson09.non.html
http://chanson.to/french%20artist/abc/a-15.htm
https://en.wikipedia.org/wiki/Raymond_Asso
History of Edith Piaf
https://wmg.jp/artist/edithpiaf/profile.html
http://www.yoshidak.com/edithpiaf.html
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=271576&id=3895624
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=38190
画面を見るなら脇からに:「エディット・ピアフ 愛の讃歌」 - livedoor Blog
blog.livedoor.jp/k_k2911/archives/51002238.html
https://kotobank.jp/word/ピアフ-11766
YouTube
La vida en rosa EDITH PIAF Marion Cotillard
https://www.youtube.com/watch?v=0F1Vbwt60qk
映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」ラストシーンより☆「水に流して」
https://www.youtube.com/watch?v=YtpcKgacdf8
映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」日本版劇場予告
https://www.youtube.com/watch?v=g74vRWApZ1g
エディット・ピアフ ~愛の讃歌~(字幕版)
https://www.youtube.com/watch?v=4wvsI8MICmo
http://www.kokubo-co.net/Pages/KB_paroles_8.aspx
https://sekihi.net/writers/7213
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