ぶらり京都-112 [高瀬川一之船入]
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あふれるほどの桜は、日が傾き始めた春爛漫の古都京都の繁華街を包み込み、
道行く人々の心を春に染める・・・
高瀬川|京都中京区一之船入町 高瀬川河畔|Googleマップ
(2016年4月5日撮影)
「高瀬川一之船入」
(たかせがわいちのふないり)
京都府の高瀬川に作られた船入(船を接岸させるための入り江)である。1934年(昭和9年)1月22日、国により名勝天然記念物に指定された。一之船入手前の高瀬川には高瀬舟が再現されている。高瀬川には他に二之船入・三之船入等の船入が設けられていたが、現存するのは一之船入のみである・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/高瀬川一之船入
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川の西方の堀割を一之船入という。高瀬川は慶長16年(1611年)頃角倉了以(すみのくらりょうい)が開いた運河で、ここを運行する高瀬舟の荷物のあげおろしをする船溜所(ふなどまりしょ)を船入といった。高瀬舟が盛時には百数十艘が上下し、大坂などの物資を運び入れた。船入はこの一之船入をはじめ数カ所に設けられた。明治以後、高瀬川は舟運の目的を失ったが、両岸に柳を植えた景観は京都の情緒の大きな要素となっている。一之船入は江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として史跡に指定されている。
京都観光Navi:高瀬川一之船入
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=6000092
そして鴨川を渡り、少し脚をのばせて祇園白川・・・
(以下・参考サイト)
高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。 開削から大正9年( 1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる ...
https://ja.wikipedia.org/wiki/高瀬川_(京都府)
京都観光Navi:高瀬川
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=4&ManageCode=7000044
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←「角倉 了以」
(すみのくら りょうい:天文23年/1554年〜 慶長19年/1614年)
戦国期の京都の豪商。朱印船貿易の開始とともに安南国との貿易を行い、山城(京都)の大堰川、高瀬川を私財を投じて開削した。また幕命により富士川、天竜川等の開削を行った。地元京都では商人と言うより琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に「水運の父」として有名である・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/角倉了以
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