ぶらり京都-150 [松尾大社の山吹]
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京都四条通り東山の八坂神社を真っ直ぐ西に、桂川を渡り嵐山の峰に続く松尾山には、東端の八坂神社と対峙して境内に亀ノ井の名水があり酒造家の信仰が厚い「松尾大社」が鎮座する大鳥居にぶつかる。ここは咲き誇る山吹が有名で、春風に吹かれて長い参道を通り境内をぶらりと散策する・・・
松尾大社|京都市西京区嵐山宮町|Googleマップ
(2018年4月10日撮影)
「松尾大社」(まつのおたいしゃ)
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京都府京都市西京区嵐山宮町にある神社。式内社(名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。
京都市西部、四条通西端に位置し、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である・・・
社名は、古くは『延喜式』神名帳に見えるように「松尾神社」と称された・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/松尾大社
http://www.matsunoo.or.jp
松尾大社「山吹まつり」
※ 境内無料
4月10日(火)~5月5日(土・祝)(予定)
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約3000株の山吹の花が境内や参道を彩ります。
花の匂いはバラ科特有な高貴な香りがし、その優雅な姿と共に、つけられた花言葉は、崇高(すうこう)、気高(けだかい)とされています。日本と中国に原生分布し、今でも旧家の庭にはよく山吹きを見掛けますが、かつては枝の中心部分を占める髄ずいが、行灯などの灯心に利用されるなど、重宝な植物であったからでしょう。
品種としては現在、「一重」「八重」「菊咲」の三種類と白い山吹が咲き、八重咲き型が最も観賞用に好まれているようです。山の谷間で枝が風に揺れ動くさまから「山振」と呼ばれたのが語源といわれ、『万葉集』に山振と記した歌があります・・・
庭園「松風苑」3つの庭は昭和の名作庭家、重森三玲氏の遺作
拝観料:庭園と神像館:500円
http://www.matsunoo.or.jp/flower/やまぶき開花情報/
桜の花が散り終わる頃に咲き始める山吹は・・・
桜と同じくバラ科に属し、英国では 「ジャパン・ローズ」 と呼ばれ、少し芳しい香りを放ちながら、
桜と違った春の訪れを感じさせる花で、古歌にも好んで詠まれ、万葉集の頃では、
山吹を「山振」(やまぶき)と呼んでいたらしい・・・
「山振 (やまぶき)の 立ち儀 (よそ)ひたる山清水 (やましみづ) 酌 (く)みに行かめど道の知らなく」
巻二(一五八)高市皇子(たけちのみこ)
(山吹の花が美しく咲いている山へ命を甦らせるという伝説の水を酌みに行こうと思うのにその道が分からないよ・・・)
京都から奈良へ向かう奈良街道の「井手町」は古い町として、
万葉の時代から「井出の玉川」を山吹の歌枕として、多くの歌人が和歌を詠んでいる・・・
駒とめて なほ水かはむ 山吹の 花の露添う 井出の玉川 藤原俊成
山城の 井出の玉水手にむすび たのみしかひもなき世なりけり 伊勢物語
思はずに 井手の中道 へだつとも 云はでぞ恋ふる 山吹の花 紫式部
色も香も なつかしきかな蛙鳴く 井手のわたりの山吹の花 小野小町
有名な歌人の親子、藤原定家(ていか)とそのお父さんにあたる藤原俊成(しゅんぜい)・・・
以下の二人が詠んだ「山吹の花」の歌は、どちらも70歳を超えた頃のものらしい・・
賀茂社へよみてたてまつりける百首歌に、やまぶきを
「桜ちり 春のくれ行く物思ひも 忘られぬべき 山吹の花」
「玉葉集」藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい:藤原定家のお父さん)
(桜が散り、春が暮れてゆく憂鬱も、思わず忘れてしまいそうなほど美しい山吹の花よ・・・)
洞院摂政家百首歌
「にほふより 春は暮れゆく山吹の 花こそ花の なかにつらけれ」
「続古今集」藤原定家(ふじわらのていか)
(この花が咲き始めると、春はもう終りに近づき、山吹の美しい花の色も季節の過ぎ行く悲しみが曇らせる・・・)
「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき」
兼明親王
道灌が父を尋ねて越生の地に来た時、突然のにわか雨に遭い農家で蓑を借りようと立ち寄った。その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。後でこの話を家臣にしたところ、後拾遺和歌集の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間の茅葺きの家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがなく、普通は八重咲きの山吹には実がつかことを奥ゆかしく答えたのだと教わり、古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励む。その後この話は、江戸では初代林家正蔵の落語にもなっていく・・・
昔、山吹は至る所で観られたような?...でも今は何か、懐かしい風景に出会ったようだ・・・
(以下・参考サイト)
お酒の神様を祀る 松尾大社 | 寺社巡りドットコム
http://www.jisyameguri.com/chiiki/kyoto/matuo/
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマブキ
日々の戯言|4月中旬の庭 山吹
https://ameblo.jp/hashmark0802/entry-11815516100.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/yamabuki.html
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/yamabuki.html
<付録>
狂言「福の神」によると、松尾神は「神々の酒奉行である」とされ、現在も神事に狂言「福の神」が奉納されるほか、
酒神として酒造関係者の信仰を集め、上の写真の「神輿庫」には奉納された多くの酒樽が並ぶ・・・大社の社殿背後には、「亀の井(かめのい)」と称される松尾山からの湧水の泉がある。この亀の井の水を酒に混ぜると腐敗しないといい、醸造家がこれを持ち帰って混ぜるという風習が現在も残っている。松尾大社が酒の神として信仰されるのはこの亀の井に由来し、境内には珍しい白い山吹がある・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/松尾大社
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松風苑三庭は、現代庭園学の泰斗・重森三玲(しげもりみれい)氏(明治29年〜昭和50年)が長年にわたる庭園研究の奥義を結集し、この地上に残す最高の芸術作品として、全身全霊を傾注して造られた庭園です。総工費1億円、三庭に用いられた四国・吉野川産の青石(緑泥片岩・りょくでいへんがん)は200余個、丸1年の工期を経て、1975年(昭和50年)に完成した昭和時代を代表する現代庭園・・・
http://www.matsunoo.or.jp/guide03/
「曲水の庭」 ← ↑
王朝文化華やかなりし平安貴族の人々が、慣れ親しんだ雅遊の場を表現・・・
「上古の庭」 →
遠く昔、上古の時代には、どの場所にも神社も社殿もなく、山中の巨岩などが神霊のやどる聖地とされており、その場所を磐座(いわくら)、或いは磐境(いわさか)と言います・・・
「蓬莱の庭」 ↓
蓬莱とは、不老不死の仙界の意味で、その島にあこがれる蓬莱思想が鎌倉時代に最も流行・・・
重森 三玲:しげもり みれい(1896年~1975年)は、昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。出生名は重森計夫。岡山県上房郡吉川村(現・加賀郡吉備中央町吉川)の生まれ。当地には豪渓(ごうけい)と呼ばれる水墨山水画の世界を思わせる渓谷地帯がある。日本美術学校で日本画を学び、いけばなと茶道を習い稽古に励む。日本美術学校卒業後には東洋大学文学部に学ぶ…
その後は日本庭園を独学で学ぶ。昭和11年(1936年)より全国の庭園を実測調査し、全国500箇所にさまざまな時代の名庭実測、古庭園の調査などにより、研究家として日本庭園史のさきがけとなっていく・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/重森三玲
https://ja.wikipedia.org/wiki/緑色片岩
井手の玉川の山吹
井手町 企画財政課|京都府綴喜郡井手町大字井手小字南玉水
http://www.town.ide.kyoto.jp/photonwes/1397049665159.html
桜が散りゆく井出の玉川で咲き進む山吹
http://fourseasons.sakura.ne.jp/0421t.html
https://blog.goo.ne.jp/yumiochan/e/f70d16b8258311dbf9b45b052778321f
http://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=798&r=1523684200.2769
駒とめて なほ水かはむ 山吹の 花の露添う 井出の玉川
https://blogs.yahoo.co.jp/sakuramitih15/40324141.html
奈良街道の古い町として万葉の時代から歌に詠まれ
http://hmpiano.net/ide_tamagawa/subsab70ide_tamagawa.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/utamaku/ide_u.html
http://saigyo.sakura.ne.jp/idenotamagawa.html
「井出の玉川」とは・・・歌枕の地
http://saigyo.sakura.ne.jp/idenotamagawa.html
古今和歌集の時代から井手の地名は歌枕にもなり、山吹の花ととりあわせて多くの歌人が和歌を詠んでます・・・
http://saigyo.sakura.ne.jp/idenotamagawa.html
http://kyototravelnoosusume.hatenablog.com/entry/matsunooyamabuki2015
太田道灌
「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき」
https://ja.wikipedia.org/wiki/太田道灌#逸話
https://ja.wikipedia.org/wiki/道灌_(落語)
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