照りつける日差しの中を、今はなき天守台跡まで登ってみた・・・
郡山城跡|大和郡山市城内町2|Google マップ
(2017年6月15日撮影)
「筒井 順慶」(つつい じゅんけい)
天文18年(1549年)〜天正12年(1584年)
大和国の戦国大名・筒井順昭の子として生まれ、天文19年(1550年)父が病死したため、叔父の筒井順政の後見の元、わずか2歳で家督を継ぐ...
当時の大和は「大和四家」と呼ばれる筒井氏、越智氏、箸尾氏、十市氏や僧兵を擁した興福寺の勢力が強く守護職の存在しない国であったが、永禄2年(1559年)三好長慶の寵臣である松永久秀が侵攻し、筒井氏と敵対関係となった。更に永禄7年(1564年)に叔父の順政が死去すると…
後ろ盾を無くした順慶に松永久秀が奇襲を仕掛け、その年に順慶は居城・筒井城を追われるが、元亀2年順慶は明智光秀の斡旋をもって信長に臣従...
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が信長を討ち取った本能寺の変、光秀は親密な関係にあった順慶の加勢を期待して、洞ヶ峠に布陣し順慶の動静を見守り、順慶は静観の態度を貫徹し、日和見の代名詞となる...
光秀死後は秀吉の家臣となり、天正12年(1584年)頃から胃痛を訴え床に臥し、小牧・長久手の戦いに際して出陣を促され、病気をおして伊勢・美濃へ転戦。この無理がたたったのか、大和に帰還して程なく36歳の若さで病死、胃癌だと云われている…
順慶は茶湯、謡曲、歌道など文化面に秀でた教養人であり、自身が僧でもあった関係で、仏教への信仰も厚く大和の寺院を手厚く保護したとも言われている・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/筒井順慶
「郡山城」(こおりやまじょう)
10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築き、奈良時代には薬園が営まれていた郡山城は、平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修される・・・
奈良に良質な石材が乏しかったため、一帯の各戸に五郎太石20荷の提供を義務付け、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども徴発され石垣石として使用された・・
筒井 順慶死後、豊臣秀長から増田長盛へ、関ヶ原の戦い後一時廃城となり、徳川幕府よって遠縁の筒井定慶が入城し、大阪夏の陣で大阪方に攻め込まれ切腹。その後は譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は明治維新まで居城となる・・・
明治4年の廃藩置県の結果、全国各地にある城郭はすべて兵部省の所管となって軍制改革が行われ、東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本の「六鎮台」が設けられて、その時、残された城は全国で58城、廃毀された城が144城、大和の郡山・高取の2城と他の陣屋のすべても廃毀と決定し、明治6年郡山城は入札売却されたらしい・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/郡山城_(大和国)
戦乱から「洞ヶ峠:ほらがとうげ」と云う逸話を残し、胃癌と云う36歳の若さで戦国の世を終えた・・・
(以下・参考サイト)
筒井 順慶(つつい じゅんけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。得度して順慶と称する前は、室町幕府13代将軍・足利義藤(後の義輝)の偏諱により藤勝(ふじかつ)、藤政(ふじまさ)と名乗っていた。大和筒井城主、後に大和郡山城主。事績については『多聞院日記』に詳らかに記述されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/筒井順慶
洞ヶ峠の筒井順慶|日和見の代名詞 「洞ヶ峠」で濡れ衣の筒井順慶さん
洞ヶ峠(ほらがとうげ)|京都府八幡市八幡南山|Google マップ
http://bushoojapan.com/tomorrow/2014/08/10/27028
【ご当地グルメ】
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天正十三年 (1585年)創業 「本家 菊屋」
大和郡山市の市役所前にお店を構える和菓子屋、創業四百有余年という老舗。創業者菊屋治兵衛が豊臣秀吉の弟君、豊臣秀長に連れられ、天正十三年(1585年)大和の国に参り、秀吉をもてなす茶会に何か珍果を作るように命ぜられ献上したのが・・・
粒餡を餅で包み、きな粉をまぶした、太閤秀吉がうまいッとうなった奈良最古のひとくちサイズの餅菓子・・・
← 御城之口餅
(おしろのくちもち)
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株式会社本家菊屋
〒639-1134
奈良県大和郡山市柳1-11
TEL:0743-52-0035
FAX:0743-52-3026
http://kikuya.co.jp
http://kikuya.co.jp/
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郡山城跡
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/ourcity/history/shiseki/000242.html
郡山城
別名:犬伏城
続日本百名城|奈良県指定史跡
http://sengokutan9.com/Oshiro/Nara/Yamatokoriyamajyou.html
http://senjp.com/yamatokouriyama/
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/rekisi/rekisi_flameset.html
永禄9年(1566)6月/順慶、三好三人衆の援助で筒井城に復す。
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/rekisi/src/history_data/h_026.html
中世の郡山には、中殿(なかどん)・辰己殿(たつみどん)薬園殿・東殿・向井殿たちの土豪が土塁と堀で囲んだ「カキ上ゲ城」の館を西の方の丘陵上に構えていた・・・
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/rekisi/src/history_data/h_026.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/郡山城_(大和国)
https://ja.wikipedia.org/wiki/筒井城
「御城之口餅(おしろのくちもち)」【粒餡きな粉餅】
http://small-life.com/archives/10/05/0718.php
http://0570914.hs.shopserve.jp/hpgen/HPB/shop/shopguide.html
大和郡山 「菊屋」 (カズ ヨシコ)
http://blog.goo.ne.jp/kazuhiro8202013/e/909a316bb6aff9bbea5323c79ab25d63
太閤秀吉がうまいッとうなった奈良最古の和菓子店・本家菊屋の「御城之口餅」
http://kspkk.co.jp/souvenirsummary/312/
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